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■ 公教育 | 2018. 6.21 |
最近アメリカの教育費削減が決定されたらしい。 「何たることだ」 トランプ氏の言動、行動は時代に逆行しているうえに国益にも反しているように思える。 前民主党の政権の築いて来た成果をことごとく覆そうとしているかに見える。 「イラン核合意」の一方的破棄、気候変動を抑制する世界会議「パリ協定」からの離脱などなど数限りない。 日本国にとってアメリカの民主党と共和党をその政策で比較すると、意外なことに共和党の方がやや有利であるらしい。 彼の人の特徴を2つの言葉で表すと「親ユダヤ」「親日」となるが、その流れかトランプ政権も反欧的で親日的に見える。 今のところであろうが。 別に日と欧が反目しているワケではないであろうが非常に近接しているカナダやヨーロッパよりもアジア、とりわけ日本に肩や足を入れているように見える。 そのような国際関係における米国の立つ位置はさておいて内政についても外交問題として米朝首脳会談以外に見るべき成果の無いトランプ政権の政策と同様、全体に「後退的」と呼んでもおかしくない状況であるようだ。 先の大統領選において相手方、即ち民主党でクリントンを凌ぐほどの人気を誇ったのがバーニー・サンダース候補であったが、この人の掲げる政策の目玉は国家における「公教育」の無料化であった。この問題は国家にとって常に最重要課題だ。 家庭におけるそれと同様に。 教育の荒廃はイコール国家の荒廃で早晩急激な衰退へと繋がってゆく。 人が人へ「モノ」を教える。 「モノ」とは勿論その国や世界や宇宙についての言語であり、歴史、文化、伝統、芸術、習慣、科学、技術、知識、情報、モノの考え方、道理、倫理、道徳など多岐にわたる。 これは実に大変な労苦を伴うもので、教育する側に相当の情熱や気力、知力、体力を要求するものだ。 時には親のする「子育て」と同等かそれ以上のエネルギーを必要とする。 出来得れば全人格的に優れた人間を教育者にするべきと思えるが、これは医者や弁護士など人相手のサービス等で専門職と呼ばれる人々とくらべても仕事の内容としてかなりハードであるにも関わらず、それらの職業の人々の待遇改善に向けての行政府の働きかけは極めて弱いので当然ながらそれらの優れた人材を集め育てるということが現時点では非常に難しいようだ。 そもそも国家も国民もメディアも米国と同様、我が日本国でも教育者の現在置かれている身分や社会的地位、苦境などについての理解や共感、もっと言うなら国民的コンセンサスが全く得られていないように見える。 具体的には一般の会社における所謂ブラック企業と同じく仕事の量は多いのに経済的、時間的待遇が悪いということだ。 良いのは退職金と年金くらいであろうか。 よく詳知はしていないが田舎における零細な企業からすると、少なくとも公務員であるし厚生年金であるので一見羨ましい職業に見える・・・。 それでも極めて劣悪な労働環境にある中国やアジアの下層の労働者からすると恵まれてはいる。 比較の対象が極端であるが筆者の場合そういう比べ方をする。 つまり奴隷労働なみの最低最悪との比較を敢えてあらゆる場面でするという癖である。 これは幼少期の親のスパルタ教育の賜物と考えられるが、大人になって老年期を迎えてかえすがえすも有難いことであると考えている。 変な高望みはしないし、かと言って小成に甘んずるということもない。 毎日の労働についての深い謝念を忘れたこともない。 若い頃の重労働の時も今も殆んど変わらず気分に変化はないので幼少期から若い時の労苦というものがいかにチカラを持つかの良い例と思える。 これらも当時の家庭や社会や学校での教育のおかげではないかと考えている。 筆者の考えでは「学校の先生」それも公教育の場、つまり公立の学校というのは言い換えれば国家の大切な「人材養成機関」なのであるからもっとお金をかけるべきと思う。 何度も繰り返し述べて来たように国民あっての国家である。 「国力」とは人口の「多さ」と一人一人の国民の総合的な能力の「高さ」である。 国民の数においては人口減少をただちに食いとめ、質においては教育に精いっぱいの注力をすべきではないかと思える。 感覚的には全精力を注ぎこんでも良いくらいだ。 米国大統領のトランプ氏の教育費削減なんて言う方針は自らの愚かさを世界中に向かって公表しているようなものである。 その上、優秀な人材の流入を支える移民制度でも後退的だ。 同氏は人材についてどのように考えておられるのであろうか。 国家100年の計、1000年の計は教育である。 一般企業の社員教育制度においても優秀な人間を引き立てると同様かそれ以上に底辺の底上げが重要である。 何故ならトレンド的に人口減少の昨今、人の入替えが出来ないし、また数年かけて積み上げて来た経験と知識をあらためて新しい人材に急速に注入することなどできない技だからである。 またあらゆるサービス業において、それも常にお客を直接に応接する業種においては最低のレベルがその会社のレベルと社会から評価されるので社員教育は「底上げ」的にするのである。 「下層を切って(辞めさせて)上層を引き上げる」という社員教育のシステムをつくったGE(ジェネラル・エレクトリック)の伝説的な名社長のジャック・ウェルチは極めて有能な経営者であるが、上記の人材登用法が現代の社会情勢にマッチしているとは言い難い。 ただ同社長が会社経営上「教育」の重要性に着目し、社内に学校まで作ったというのは高く評価したい。 いずれにしても国家と国民にとって「教育」の重要性については語り尽せないくらいの比重があると考えている。 重複を恐れずに強調しておきたいが、国民の「数」(人口)と「質」(教育)の両課題において国の果たすべき役割は極めて大きい。 その下に防衛と治安がある。 目先の「利」(経済)ばかり目がいくのは一般大衆庶民なら分かるが、国家100年の計を預かる為政者のすること、考えることではない。 ましてや些末な私的スキャンダルをいかにも重大事のように国会で追及するなど恥ずかしくて見ていられない。 同盟国だからと言って米国のような教育制度、医療制度を真似ることはない。 世界で最も教育に熱心な国、美しいモラルと国民性を持つ世界中から尊敬される国にするという遠大な目標を掲げて各種の政策をするべきだ。 国家は決して「公教育」を手放すべきではなく、さらに高みをめざしより良くするように国を挙げてそれに邁進するべきである。 ただし、上記のような論と真逆な立場があることは知っておいた方が良いだろう。 つまり地球人類総家畜化政策というもので、少数の選ばれた人々以外を愚民化家畜化奴隷化して自分たちの都合の良いように操作しようとするもので、大昔からヨーロッパやロシアにはあったようだ。 明治時代に行われた「岩倉視察団」の報告ではそれらの貧富格差の様態を見て「町民国家」と侮蔑的に表現し誇り高い「武士道国家」について大いに自賛した模様である。即ち日本人の思想や感性では愚コラムの考え方で良いと思う。 ありがとうございました M田朋玖 |