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■ 幸福の景色 | 2018. 6.13 |
根岸吉太郎監督の「ウホッホ探検隊」という一風変わったタイトルの作品がある。 十朱幸代・田中邦衛主演、脇役に陣内孝則・時任三郎など。 筆者のコレクションの中でもかなり傑作の部類に入る映画である。 まず言葉を含め暴力的な場面、イヤな気分を喚起させる場面、キタナイ場面がなく美しい風景や音楽や女優さんが頻出していてとても好もしい。 何故か最近は上記の基準を満たす映画作品が少ない。 キモチの悪くなる映像や場面、物語が多いので出来る限り観ないようにしている。 その点「ウホッホ・・・」はとても良い気分、心地良い幸福な気分に浸れる作品である。 特にラストのエンドクレジットの流れるシーンは素晴らしい。 都会にある広々とした公園の大きな木陰で若い夫婦と少年と男の子の家族4人が楽しそうに遊んでいる。 風に揺れる柳の木、芝の緑。 晴天で清々しい初夏の心を癒やす美しい光景を固定したカメラで捉え「家族」という世界中の人間の幸福のカタチを「理科室にある標本」のように切り取って絵画のように展示してある・・・。 とても心に残る映像だ。 それは巧みに濡れた画面に加工してあって、さらに水々しく美しい。 不運・不幸のサマは多種多様で無限のパターンを持つ一方で、人間の幸福のカタチは世界中恐ろしくワンパターンだ。 昔の映画のハッピーエンドと「定型的」という意味でよく似ている。 それは愛し合う男女の抱擁と接吻というのが通り相場で多くの観客はそれで充分に満足していた。 そしてそれに続く温かい家庭、家族関係というものが幸福というもののカタチであるのだ。 そういうワンパターンのカタチを幸福の基準として連綿と繰り返して来たのが人類というものである。 どんな物語もそこ・・・男女の愛の営み、親子の睦み合い・・・その場である家族・夫婦を一定の社会の公序良俗として基準に置いているようだ。 それらの集合体として良き国家があるのだ。 先日、靖国神社献灯祭の寄付の封書が来ていて、少額ながら多少気まぐれにそれを送ったら不思議なことに或る偶然から数日後に特攻隊の記念碑に接することになった。 平成30年6月3日の午後のことである。 その石碑によるとその日は日本海軍の特攻作戦の終了した日であるらしい。 「海軍航空部隊第二国分特攻基地」 昭和20年3月18日〜同年6月3日まで行われた特攻作戦。 18才から25才までの173名の若者が帰らぬ人となったと書かれてあった。 当時のコンクリートの滑走路の破片が展示してある。 鹿児島空港の脇の小さな公園だ。 その公園で、まるで現在の日本人の平和を象徴するかのように、子供連れのカップルが数組、設置された遊具で遊んでいる。 それらを味わうことの出来なかった若者たちの替わりに平和を謳歌しているといった塩梅である。 公園の南西端に建てられた木造の展望台に上り、板長椅子に寝そべってスマホの音楽をつけて初夏の涼やかな緑風を楽しみながらそれらの「幸福の景色」を感慨深く眺めた。 それはとても素晴らしいひとときで、空には灰色の雲がまだらに広がっていたが青空もチラチラのぞいている。 暗く重い雲ではない。 時々、大小色とりどりの飛行機が降り立ち、飛び去って行く。 それらの轟音ですら音楽のように耳優しい。 或る若い夫婦について母親から相談を受けた。 幼い子供二人の養育で疲れ果て瞬間的に不仲に、関係が険悪になっているらしい。 話しを聴いてみると、その夫婦は付き合いも6年と長く、特に夫の方は妻に「ゾッコン」であるようだ。 「子育てに協力的でない夫」についての不満が強くあるらしい。 幾分世間話風に勝手に話しを始めた。 二人が聴いているかそうでないか関係なく・・・。 内容をかいつまんで書き述べると以下のようになる。 「人間の幸福のカタチはやはり結婚である。 愛し合った男女に子供が生まれる。 そうしてその子供らを養い育てるというのはそれがどんなにつらく苦しいモノでも『愛する喜び』即ち人間の『幸福』なのだ」・・・みたいな。 何だかエラソーな講釈であるが、ついでにそうでない状態の男女、即ち愛する人も養うべき人もいない人の年を重ねた後の虚無、或る意味不幸論とくらべてどちらが良いか・・・てな話である。 「幸福とは愛する」ことである。 実のところ結婚などしていなくても、子供がいなくても、いくらでも人を愛することはできる。 逆にそちらの方が純愛に近いかも知れない。 それでも「夫婦がいて子供がいる」というカタチとしての幸福は捨て難い。 特に若い男女には。 長期的には国家や世界の発展に繋がっていく筈であるし、そういう意味で大変な社会貢献でもあるのだ。 勿論、自分自身の人生の「愛の記憶」として永遠に心に、そして魂に刻まれていくものなのである。 筆者が大学入学の時に小坂明子という歌手の自作の歌で「あなた」というのが流行っていた。 ♪もしも私が家を建てたなら・・・♪ 当時の少女の夢をそのまま歌曲にしたものだが結構泣かせてくれる。 年齢に応じて捉え方が異なるようで、若い時には「夢」 青〜中年期には「現実」 老年期は完全に過去であり郷愁だ。 イメージとして決して悪いモノでは無かったと記憶している。 そんなに甘くトロケルようなイメージに導かれるようにそれらに憧れ現実化していく時代であった。 それが今や時代の様相が少しずつ変化してしまったようで、若者はそのような「夢」を追い求めていないようにも思える。 気のせいであろうか。 世界中、貧者も富者も身分の貴賎を問わず人間というものはそれらの幸福の景色に幸福感を感じるものであるし、またそれらを自然にしていて求めるものであると思えるのだが・・・。 多くの人は概ねそれらの愛(幸福)の中から出現したのであるし・・・。 生まれてこのかたこの愛の有難さ、美しさ、尊さに気づかずに死んでいく人がかなり多いことを思い知らされる。 多分死に際には気づくのであろうけれど、出来得れば生きている内に、それも人生の生活の瞬間瞬間にそれに気づいて生きている方が幸せであろう。 その喜び、嬉しさ、満ち足りた心持ち・・・日常の些末なルーチンの行動に追われ、或いは不意に起こる事件によってそれら「幸福の景色」が殆ど忘れ去られてしまうのだ。 恐らく・・・。 そういう意味でイメージだけでも思い出させてくれる上記の映画作品のラストシーンはとても有難い。 因みに前記した若夫婦はその後、関係が好転した模様である。筆者の独りごともいくらか効を奏したのかも知れない。或いは特攻で死んで行った英霊たちのチカラかも知れない。まずはメデタシ何よりである。 「仲良きことは素晴らしきことなり」実篤。 てか。要するに「平和」ということである。 ありがとうございました M田朋玖 |