コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 不幸な男2018. 6. 1

相変わらず塩野七生「先生」の本を繰り返し読んでいる。
入浴中だけであるが・・・。
これほど風呂場で読むのに適当な本に出逢っていない。
試しに直木賞作家・浅田次郎の短編小説を浴室に持ち込んでみたものの結構イケてる作品とは思えたが「面白い」というレベルではない。
今のところ塩野大先生にはとうてい敵わない。

件の塩野氏の「男たちへ」を再読してみると「不幸な男」というタイトルで、何と3章も書かれてあった。
それをまとめて述べると
(1)原理原則に忠実な男
(2)完璧主義の男
(3)40代で迷う男
ということになるらしい。
いずれもそれぞれ細かいニュアンスが違うが、筆者の考えていることと共通する内容も多いので少し解説してみたい。
(1)原理原則に忠実すぎる男
これは多分に女性から見た感想であると思えるが、言い換えると「柔軟性に欠ける男」と解釈している。
概ね女性というのは男の目利きにおいて鋭い感性感覚を持っておられて、特に学歴とは関係なくアタマの良い女性はこのあたりの「不幸な男」の特徴を一瞬で見分ける能力があるようだ。
筆者のアタマの中では「頑なな男」即ち「柔軟性に欠ける男」というのはアタマの悪い男と同視することにしている。
これはさまざまな成書で説いてある事で、女性がパートナーに選んではイケナイタイプの上位に挙げられている。
アタマの固い男ほど「使えない」者はいない。
そもそも国家や社会、大衆というものは女性的であるので、男のそのような思想的頑なな態度というものを受けつけないのだ。
外国語でも国を呼称する時に女性代名詞を使う。
日本語でも母国とは呼ぶが父国とは呼ばない。
社会は常に男に柔軟性を求めていると言っても過言ではない。
ましてや現代の「激動」と呼ばれるほど変化が激しく、動きの活発な時に「原理原則に忠実な男」が幸福でいられるワケがない。
(2)完璧主義者
これはあらゆる自己啓発書、成功本、ビジネス書にその有害さを説いてある。
詳述する紙面はないが「完璧主義は悪」と知って納得しておくだけでも良い。
典型的な成功者の一人である孫正義など、その事業に7割か8割の勝算があればゴーサインを出すそうである。
同じくユニクロ(ファーストリテイリング)の柳井正など8勝7敗で充分と言い切っておられる。
そもそも完璧主義者は成功に向けた「出発」すらできない。
そういう人物は完璧な準備に一生を捧げるおバカさんということになる。
そんな男は世の中に存在はできるが幸福にはなりにくい。
完璧な人間や文章が存在しないように・・・。
不幸な男を女性目線では「完璧主義者」がその部類に入ると直感的に判断するようである。
少なくとも塩野女史はそう考えておられるし、多くのビジネスマンの心得ておくべき心構えや態度のゴールデンルールであると思える。
(3)40代で迷う男
人間が「迷う」時、精神のエネルギーレベルが最も低いとされている。
AかBかしか判断できない状態。
殆んど考え過ぎて・・・。
米国コロンビア大学の教授で盲目のインド人女性、シーナ・アイエンガーはその「選択の科学」という研究で、考えることによる迷いについて説いている。
直感的に選択することがその人を幸福に導く可能性が高い・・・と。
物事のプラス面とマイナス面を表にして書いて選択し決断するという行為について否定的な見解を述べておられたのが印象的であった。

「ピンと来た」とか「ハッとした」とかその人の仕事だけでなく、パートナー選びからレストランにおける料理の注文から人間の生活は選択の連続である。

それらの決断に時間制限でもあったら「迷う」ということはおいしい料理にありつけない可能性だってあるのだ。
そもそも有限という厳然たる人間の時間の集合体を人生と呼ぶ。
塩野七生氏が述べるには40代で「迷う」ことのないように30代で色々と学び、経験しておくことで事に当たって決断を「迷わない」為に応分の胆力を蓄えておくべきであると・・・解釈した。
特に男は。

表面的に「いい加減」で「テキトー」に見える人もその内面に鋭くて確固とした哲学、考え方を有していることがあり「芯の通った男」「筋の通った男」である場合が時々ある。
それだけ柔弱というかしなやかに、したたかに生きていくにはそれだけの知恵や経験を要するものなのである。
くだらない「原理や原則」「完璧主義」「迷い」など全くもって人生にとって、男にとって有害無益というのはとりあえず筆者もしっかりと賛同しておきたい。

最後に日本の自民党の存続について述べてあったが、ヨーロッパの「自由」と冠した政党が、特にイタリアのそれが主義主張にこだわって永続できず少しずつ衰退している一方で、日本の「自由」民主党が政権与党として長きにわたって政治の中枢に座しつづけることができたのもひとえに上記した「不幸な男」の特徴を持っていなかったらだと読み解くことができる。

それは或る種の「いい加減さ」ではないかと解釈している。
さまざまな妥協と清濁を併せのむ、深くて広い「懐」と時代に応じて変幻自在に適応変化させて来た摩訶不思議な伏魔殿のような組織が自由民主党という奇怪な政党なのである。
自民党を日本人と置き換えても良い。
明治維新の頃の日本人の思考や行動は混乱と軽薄と明知と暗愚の混在した類で、すべてにおいてまとまりが無く一貫性も勿論、主義主張もない。言わば「カオス」そのものだったようだ。
ただ「富国強兵」という言葉とか明治天皇の勅言によって拓かれ、広く国民に明示された井上毅の生涯を捧げて完成された「教育勅語」が国の進むべき道を明確に短く示されたことが大きく国の発展に寄与しているそうである。
諸外国の知性ある人々は日露戦争を勝利に導いたのはこの「教育勅語」にあると明言している人もいるようだ。

いずれにしても不幸な男にはなりたくないし、少なくとも60代になって我が人生を振り返ってみて上記の3つの特徴を意識的に排除して来たようにも思える。
逆に言うと、油断すると男というものは割りと簡単に不幸な男の特徴を持ちやすいとも言える。

ありがとうございました
M田朋玖



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