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■ パートナー | 2018. 5.24 |
パートナーシップという便利な言葉があって、人間関係の構築や維持について一定のスピリット、精神的構えを考えさせてくれた有難い。 米国では大手法律事務所の「パートナー」というと日本で言うところの役員、即ち経営者・・・のメンバーというところになるらしい。 つまり上位職がパートナーでその下位にアソシエイト(仲間)という身分があるらしいが意味は詳述できない。 米国におけるその業界のデリケートなニュアンスがよく理解できないからだ。 いずれにしてもパートナーというと「大事な人」ということだ。 人生のパートナーというと勿論、配偶者(夫や妻)ということになるが、彼氏彼女、恋人、同居人・同棲者・お妾さん・愛人、セフレなどなど全てひっくるめてパートナーと呼称できるので日本語的には極めて使用感の良い便利な言葉だ。 法律的な保証はともかく「妻」という身分と存在感は結構大きいものであるらしい。 現代人はそれぞれのパートナーについて配偶者もレベル的に同視したりする傾向があるが、実のところその存在の重さはそれほど軽々としたものではないようだ。 最近では割と簡単に結婚し、離婚するということを繰り返す傾きがあって人間の自由選択という観点では或る意味喜ばしい時代ともいえる。 というのは、辛く苦しい地獄のような結婚生活に縛られて本来は楽しかるべき人生が台無しになってしまう例も少なくないからである。 これは特に女性の立場からすると元々それが社会的に弱いものなので「子供がいる」という状態も付加されると更に問題がヤヤコシクなる。 日本では社会の制度として欧米先進国よりもいくらかそれが劣っていて「カワイソウ」な離婚女性も多いと聞く。 アメリカの映画スターや芸能人、スポーツ選手を中心とした高額所得者、所謂「セレブ」という人達の中にはその人生の長さに関係なく離婚・結婚を繰り返すのがひとつのトレンドになっていて、それらを特に愧じる風でもなくメディアでも昔ほど重大なニュースではなくなった。 せいぜいその高額な慰謝料が話題になったりする程度である。 最も超富裕層になるとそういう事柄(離婚・結婚)は意外に少なくて、近年ではダイアナ妃とチャールズ皇太子の離婚騒動くらいである。 この「事件」はダイアナ妃の再婚話と妊娠(詳細不明)・・・お相手はロンドンにある王室御用達の有名デパート「ハロッズ」の実質的オーナーであったエジプトの武器商人でもあるモハメド・アルファイドの息子、ドディ・アルファイドと共にパリのアルマ橋で事故死してしまうという悲しい結末で幕を閉じた。 巷間ではパパラッチに追われて起こした自動車事故によると言われているが、当時の運転手の生存とメルセデスベンツという堅牢な筈の自動車の安全性等、色々とその背景を考慮 するとイギリスの情報機関MI−6などによる謀殺説はあながちアタマから払拭できるものではない。 イギリス王室の数々の不徳と同時にアルファイド一族の武器商人という仕事の背徳性を勘案するとこのような結果はそれ程驚くべきことでもない。 血族の争い、英国とアラブ諸国の確執は日本とアジア諸国の関係性よりもはるかに複雑であり根深いものであるのだ。 話しは一気に飛んでしまうが、かつて「日本の領土」であった朝鮮半島、台湾、フィリピン、シンガポールなどアジア諸国との関係について50才代でも「知らない」という人が多いのには驚かされる。 歴史の教育が正しく学校で行われていないフシがあるようで、それは中国・韓国の圧力と思われるが、これは歴史上の厳然たる事実であるのでキチンと正しく教えるべきであると思える。 「かつての日本の領土は?」という問いかけで帰って来る答えは「北方領土」というからお笑いである。 日本で最も知能指数の高い人物とされる大前研一氏の述べているように「北方領土」はロシア(旧ソ連)の「戦利品」で、元日本の領土というだけで今はロシアのモノなのであるという説に賛同する。 日露関係が冷戦時代のようにあからさまな敵対関係で、日本の漁船が無闇やたらに「拿捕」されなければ良いワケであろうから・・・。 日本は占領政策を間違えたかも知れない。 占領国の独立をまるで「そそのかす」かのように被統治国に橋や鉄道をはじめとする各種インフラのみならず学校を建て日本語の教育までしたのであるから・・・。 これらの日本国の行動は作家の百田尚樹氏の言うように「余計なお世話」であった可能性が高い。 日本のソレは植民地政策などと言うより「拓殖政策」として善政を行っているという自己陶酔的、自己満足的心境に根ざしており、真実は「悪徳不徳」の謗りを免れないのかも知れない。 話しを戻すが人や組織や国家をパートナーとして遇するのにはそれ相当の覚悟を要するもので、個人的にも痛い目に遭っているので明言しておきたいが支配、被支配の関係性の方が場合によっては極めて健全であるのだ。 誤った平等主義で自己も他者も、自国も他国も不幸してしまったら元も子もないのである。 逆に言うと繰り返しになるが「パートナー」というのは極めて重い関係であるということに気づかされる。 通常の場合「共同経営」がうまくいかず早晩破綻する宿命にあると同様に男女のパートナーシップの究極のカタチである「結婚」というものの重大さもあらためて強く気づかされる。 世間で言うところの、その字面のとおりの「奥さん」という存在の奥ゆかしさ、尊さ、重さを考える時「家」や社会、国家、世界にとってのその出発点としての男女関係の頂上にある婚姻関係の重大さに思いを致してしまう。 特に子供を産んだ場合、それも男児出産の重大さはその血族にとってはかり知れないほどの大きいようだ。 そういう意味ではイギリス王室における元妻(ダイアナ妃)と、言わば異教徒である男との間の子供の出産などとても容認できる事態ではなかったかも知れない。 何しろ皇太子の子供の異母兄弟が異人種・異教徒で、しかもかつては被支配国の商人の子供・・・それがいくら裕福であったとしても簡単に「ゆるす」ワケにはいかないのだろう。 ダイアナ妃とその許婚者殺害はまさに国家的謀略で巧妙に実行された・・・と筆者は考えている。 結論。 「パートナー選びは慎重に・・・」。 何しろダイアナ妃と件の皇太子の相性の悪さは易占的にも最悪で、もしかして少しでもこれらの知識が王室にあったら一人の美しい女性の凄惨な悲劇を回避出来たかもしれない。その子供らの晴れやかな慶事、それも結婚式の報道を最近のメディアで聞き及んでそんなことをツラツラと考えてしまった。人間というのは意外に忘れっぽいものであるらしいと。永遠に「懲りない」ということを数々の歴史物語、それも男女のそれでしっかりと確認できる。 彼ら王子たちが両親の不仲と破綻という顛末を学んでいればいいけれど。こういう「傷」(離婚)は普通孫の代に悪果として現出されるらしい。 ありがとうございました M田朋玖 |