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■ 「言葉にできない」 | 2018. 5. 9 |
今年、平成30年のゴールデンウィークも最終日、バイクもほどほど、クルマもほどほどに殆んど近場で過ごし、毎日家でビールを飲んだ。 この時期、新緑のとても美しい爽やかな風の頃にはいつも決まって小田和正の「いつかどこかで」という映画作品を観る。 筆者の中では邦画のランキングではダントツ第1位の作品である。 発表当時(1992年)評論家達の酷評を浴びたらしく、脚本・監督を担ったシンガーソングライターの小田和正も流石に結構ヘコんだらしい。 そのせいか現在もDVDは無くVHSのテープだけである。 勿論売られていない。 結果、多くの人はこの素晴らしい作品を観ることができない。 映画の出来としては、個人的には超傑作である。 何回観ても感動する。 映像や音楽の造り込みが繊細で芸術的で美しく完璧主義的に精緻で、目立った欠点が全くない。 つまり観たくない場面がなく、ディテールが凝っていてそのサウンドトラックアルバムと同様、日本の傑作映画のひとつと考えているが一般の人、特にあまたの批評家たちはそう考えていないようで残念である。 どんな人物が酷評したのかその顔ぶれを見てみたいものである。 全く見飽きないという映画というのは筆者の中でもメズラシクテ、あまたの旧作・新作を含め映画のコレクションで何回も観れるのはクラシック洋画の「心の旅路」と、この「いつかどこかで」だけであると言っても過言ではない。 後者についてはもうかれこれ20年近く毎年何回か観ていることになるので、合計すると30〜40回は観ている計算になる。 それでも真冬とか秋とか真夏とかには観ないし、自分の心の状態と波長が合うかどうかの問題もあって「やたらに面白い」と感じるのは1年のウチでも新緑の頃のある一定期間に限られるようである。 或るGW中の夕暮れ。 青々と染まってゆく初夏の心地良い空気の中、いつものようにビールを片手にベランダでくつろいでいると音楽を聴きたくなってスマホを取り出しイヤホンを繋いだ。 たまたまコレクションに入っていた「言葉にできない」という小田和正の曲を聴いてみた。 同曲は10年くらい前に或る生命保険会社のコマーシャルで若い母親たちがこれを合唱していて、その当時いたく心を打たれて落涙するほどだったので同氏の歌の中でも一曲だけ我が携帯電話のアプリの「ミュージック」に保存していたものだ。 身も心も溶け込むような深まり行く涼やかな空気の中、白いまだらの薄雲を混じらせた夕闇の青に染まっていく空を見上げながら聴く「言葉にできない」は現実の生活の中で溜め込まれた心の鬱屈を取り払い、心を洗ってくれるようであった。 「♪〜あなたに会えてよかった♪うれしくて うれしくて ことばにできない♪」 今まで出会ってきたさまざまの人の顔が次々と浮かんでくる。 その時々に自分がそれぞれに心から深く愛したのだ・・・ということを深い謝念と共に思い出す。 そうして恥ずかしながら思わず涙を流してしまう。 「愛する喜び」を・・・「何の見返りも求めず愛する」ということの喜びを小田和正の歌と映画は教えてくれる。 そうしてついでに人の道、倫理も・・・。 映画の中で何回かこれと強調する場面がある。 それが恐らく多くの批評家たちの不興を買ったのかも知れない。 もしくはお説教臭いと感じたのかも知れず当時も今もトンデモナク不道徳で暴力的な意味不明の映画が何らかの賞を取ったりする時代だから「芸術」についての文化人とか批評家とか呼ばれる人々の「気取り」とか衒学的な側面を勘ぐってしまう。 小田和正という人物がどんな「人となり」かは勿論知らない。 少し前にBS放送の特集で観た時にはいくらか偏屈な印象を与えていた。 社会が、多くのファンがいても自分のことなど理解してくれるワケがない・・・とでも言いたげな微かな傲慢さえ感じさせた。 それでも彼の人が「美しい魂」を持ち、それを表現できる「技」を持つひとつの天才アーティストであることに変わりはないと今でも信じている。 以前のコラムでお金の使い道について「見当もつかない」と書いたが、今は3つある。 一つ目は多くの赤字の病院を買収して何とかして健全経営にのせること。 二つ目、三つ目は小田和正氏に新しい映画を創ってもらうことと「いつかどこかで」をブルーレイかDVDで出して下さいとお願いすること。 同氏がお金で快諾するとは思えないが50億円とか100億円くらい目の前に積めば心を動かしてくれるかも知れない。 同作品の興行収入4億5千万円を考慮すれば説得するには妥当な金額と思える。 タイトルは決まっている。 「言葉にできない」だ。 秋冬向けの凄くロマンティックで真面目な作品。 こういうことを考える時には「金持ち」になりたいと思う。 昔から富者というものは芸術にお金を出して来たものなのだ。 そうしてそれは見返りを求めない社会への「愛」みたいなものではないだろうか。 濃染された青空に真直ぐな白雲を残しながら飛んで行く飛行機を仰ぎ見ながら「何と美しい光景か」と思うと同時に、そこに人間が乗っていてどこかの目的地をめざしていると考えた時、心の中に人間への無条件の愛おしさを感じた。 『心が愛でいっぱいになった時、人間はシアワセを感じる』もののようだ。 ミュージシャン、アーティスト、映画監督。 小田和正に深い感謝の念を感じる。 少なくとも「いつかどこかで」という映画は筆者の人生を幸福にしてくれている。 とても魅力的な出演してくれている俳優さん達、製作者全員にもそれを感じる。 都会的で、自然「的」で人間の素晴らしさ、男らしさ、美しさを存分に見せてくれるとても素敵な映画だと思う。 つくづくと。 ありがとうございました M田朋玖 追記 最近の映画はすべからく映像が絵画的にバランスの取れた美しい作品がない。 「いつか・・・」はその点、映像も、音楽も、どのカットの場面も素晴らしく完成された「美」を持つ稀有な作品となっている。 したがって何度観ても退屈するというコトがない。 難を言えばムダを極限まで省いてあるので集中せずに流して観ると物語がよく読めない。 素面のアタマと眼と耳で3回くらいは鑑賞する必要があるだろう。 酷評した人は多分一回しか観ていないのだ。 そうして部分だけを取り上げて好き勝手に論評したのではないだろうか。 世の中にはそういう輩が多い。 「それじゃお前も一遍作ってみろ」と言いたい。 あり余る才能とは持たざる者達の嫉妬の対象になるし、理解不能なのかも知れない。 近頃は特に美しくない映像と物語に慣らされている為か、世界中の人間の美的感覚に少しく疑念を持っている。特に映画についてそう感じるので、映画の新作など滅多に観なくなった。この年で気分が悪くなったり不愉快になったりする映像など観る時間がモッタイない。なのでかなり神経質にそれらの選択をしている。 |