コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 美しいクルマ2018. 5. 3

昨年(H29)にひきつづき今年もオールドカーフェスティバルという催しに出かけた。
ゴールデンウィークの最初の日曜日、4月29日だ。
それは宮崎県えびの市(人吉市の真南にあってせいぜい20〜30kmの距離にある。高い山を抜けるトンネルが高速道、国道で2本ある)と熊本県の西海岸の突端にある三角港で開かれ、今年は何故か同日であった。

出品者は毎年殆ど決まっていてオールドカーと謂えども美しいクルマだけ展示されるわけではないが、当然ながらそうでないクルマには衆目が集まらない。
それでいつも感心するのであるが美しいクルマ(少なくとも筆者が強く感じるクルマ)はスカイライン2000GT、GT−R(所謂ハコスカ)、同じくケンメリ(ケンとメリー)のスカイライン初期型のセリカ、いすず117クーペとかフェアレディーZ、いすずベレットなど殆んど定番のようであるので人気の高いそれらは確かにデザインがカッコヨクテ、スタイリッシュで美しかったなあとあらためて深く感慨する。
まだそれらが稀少車とか限定車ということはなく量産車であることも興味深い。

見学に集まって来た殆んどの最近のクルマに美しい類、カッコイイ物は殆んど全く見かけない。
どうでも良いクルマばかりだ。
少なくともデザイン的に。

何故こんな事態に立ち至ったのであろうかと考える。
一般の人のクルマに対する興味関心が減弱かなと想像する。
もしくはメーカーの怠慢、所謂売れ筋ばかり、つまり商売になるクルマを造ってただそれを市場に提供するだけ・・・になったのであろうか。
クルマが日常の、ただの移動の道具に堕してしまって、昔のように人々に夢や娯楽、趣味、貴重品としての存在感を展覧できなくなったのであろうか。
その性能の向上に反比例するように「カタチ」即ちデザインだけ雑になった感がある。

それにしても「ハコスカ」「ケンメリ」は美しい。
今のスカイラインも悪くはないが数十年後にオールドカーフェスティバルに出品できるほどの魅力は全くない。
その他日本のメーカーの現在走っているクルマで「オールドカー」として人気を持ち続けられる「作品」は・・・スカイラインやセリカのように・・・は何だろうと考えた時に初期型の「レクサスLS」くらいではないだろうかと想像している。これだつてただの身びいきでスカGやケンメリからすると相当見劣りする。
それでもレクサスのスタイリング、デザインの洗練度、無駄のない美しさは現在の多くのクルマの中でも突出しているように見える。勘違いかも知るないが。
広々とした駐車場などに停めてあるとデザイン的に変だと思えるところがないし、醜悪というラインがない。
バランスがとても良い。
結果カッコイイ。

販売された当時、とても美しいと感じていたベンツのSLシリーズとか初期型のソアラとか件のフェスティバルであらためて観てみた時に、ホンダのNSXとかマツダのロータリー車などでもこんなクルマだったのかと、少しガッカリするくらい美しいと感じなかったのが不思議であった。

時代の風雪に耐えて美しいまま生き残るデザインは何なのかと考えた時に、それは或る種の美的感覚における「芸術性」というか「普遍性」というか・・・そういう組み合わせの妙によって偶然的に生じさせられた製作者の思い入れとか情熱の賜物で、神の恩寵と呼ぶべき天からの恵みが降りかけられたのかも知れないなどといささか大袈裟に想像する。

個人的に世界で最も美しいと感じるクルマはトヨタ2000GTだ。
1960年に日本で造られたクルマで、ボンドカーとしてアストンマーチンの替わりに007シリーズ「二度死ぬ」に浜美枝と一緒に出演していたが本家本元のアストンマーチンDB5とか古い型のフェラーリとかポルシェとかその他あまたの外国車を凌駕して筆者の中では「美しいクルマ」ダントツ一位。
このことは自動車博物館でも確認済みだ。
それにつけても今のクルマのデザインは世界中見まわしてもびっくりするほどツマラナイ。
それは製作者(メーカー)に「美の追求」とか「普遍性」と「芸術性」の融合とか、少なくとも自動車に対して、それらについての情熱が失われ、ついでに失礼ながらデザイナーの質の劣化というものもあるように思える。

昨秋発売された新型レクサスについても上記の情熱を感じないワケではないが、いかんせん「普遍性」「バランス」において初期型に劣る。
デザインが過剰過ぎて折角の「美」が毀損されている。

日本人のダサいファッションの特徴としてよく見かける飾り過ぎという感じだ。

それは女性のファッションにおけるリボン、フリル、レース、カラフルなどと同様で全体にシックでない印象で着ている人の魅力を損なってしまう。
具体的にはフロントグリルとリアのテールランプや全体のシルエットに何かしら洗練されていない難解さ、複雑さがあって視覚的に、美的に脳を混乱させ、いくらか不快にもさせている。

多くのクルマのように「オールドかー」として美しく残るのは口説いようだが「初期型」のレクサスLSなのではないかと予測している。
確信はないが・・・。

筆者が美的センスにおいて強い自信を持っているワケではない。
ただ自らの審美眼を先端に持つ脳が常に過敏に活発に活動しているようで、いつものように世界のあらゆる存在・・・、特に人工物についてはいつも自然にしていて学校にいる服装チェック、態度チェックにウルサイ生活指導の教師のようにイチイチイチャモンをつけながら生きていて、時々「イヤになる」時がある。
植物を中心とした自然にはそれをあまり感じないけれど色々な動く物にはそれらの違和感はある。
進化の頂点にいるとされる「人間の美」についてはさらに激しくそれを感じる。つまり中身も外身も心から満足させてくれる「作品」に滅多に出逢わない。特に歌手や女優男優などの芸能人とかに発見出来ないのでこれまた「オールド」即ち昔のそれらの人々を眺めて心を慰めている。

それはともかく良いクルマは世界中にゴマンとある。
ところが美しいクルマとなると「?」である。
これは高級車を含め絶品とか垂涎の的と思う作品に最近めぐり逢わない。雑誌などでも見かけない。
そうして何故か筆者にはそれらのつぎつぎに発売される新型車には高級車、大衆車を問わず殆んど「美」を感じなくなった。
残念である。

「美しいクルマ」というテーマは意外に深い。
それは変奇とか特異とかでは勿論なく単なる流行でもない。
敢えて繰り返すが、やはり「普遍性」と「バランス美」「調和美」という言葉で表現される類のとてもムツカシイ、繊細な要素のカタマリ、物品であるのだ。

追記
最近アメリカと国交回復したキューバには「カチャロス」という愛称の1960年代の古い米国車がいっぱい走っていて壮観で素晴らしく美しい。それらは観光客の倍増した同国の重要な観光資源でもあるらしい。クルマが美しいと人々はワザワザ見に行くものなのだ。そういう意味でももっと真剣にクルマのデザインを考えても良いのではないだろうか。
追記
古いクルマというのは無条件に美しいものなのかも知れない。いやいやそんなことはない。美しいクルマは時代を越えて永遠である。一方そうでないクルマは価格、国別会社別、時代別、新旧別すべての区別なく美しくない。

ありがとうございました
M田朋玖



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