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■ コストパーフォーマンス | 2018. 4.28 |
「安物買いの銭失い」と諺にもある。 最近の品質向上の度合いを考えればそうとは言い切れない時代になったような気がする。 勿論そういう一面の真理は残しつつも「高物買いの銭失い」という言葉も仮定として用意した。 個人的には安い物が好きである。 高級品とかブランド品とかはあまり好きではない。 特に名の知れた誰でも知っている、持っているそれらの品はさらに苦手である。 一生持ち歩かなくて良いとさえ思う。 繰り返し述べているように「オソロイ」という感覚がとても「イヤである」と感じる。 特に「V」とか「C」とか「F」の財布とかバッグを女性が持っているのを見せられるといっぺんに「興覚め」してしまう。 それらの最もポピュラーな商品の色はハッキリ言って「ウンコ色」だ。 こげ茶とベージュ・・・これはハッキリ言って人間の糞便の色ではないか。 それをみんなで、オソロイで、女性が持って歩いているなんて・・・。 信じられない。 また色彩心理面からもこれらの色は「吝嗇」というのを表現しているらしく、映画などでも街キンなどの所謂金融業者にこの色の背広を着せている。西欧諸国のビジネスマンのスーツの色で茶系は御法度となっている。 それらのブランドでも今では商品のラインナップとして所謂美しい色が出ているけれど、何故かブランドを好む人はこれらの色よりも先述した「お色」がお好みのようである。 不思議だ。 女性は子育ての初期段階で自分の子供の世話にそれら(糞便)を扱うことが多いからであろうか。 自動車についてもレクサス以外の高級車は嫌いである。 フェラーリとかポルシェとかベンツとか最も筆者の好まざるブランドだ。 それらを乗り回すなんて今のところ絶対に「ありえへん」 良いクルマなんであろうけれど何と言っても見た目が悪い。 「これ見よがし」なんて良識ある紳士の選択する男の道具・物品とは思えない。 あくまで個人の感想であるが、これらのブランド物はそれにふさわしい身分と地域と場所・・・たとえば裕福な人々の集う高級住宅地とかキンキンギラギラの大都会の、たとえばラスベガスとかマイアミとかの街角とか高級ゴルフクラブとか高級ホテル・リゾートとかで使用され身につけるべき道具・身装品で、日本国のようにそれらの区別の殆んどない国柄だと殆んど浮いてしまって見苦しい・・・と思うのは筆者だけなのであろう。 何故なら多くの日本人は猫も杓子も老若男女、貧者も富者もそれらを無闇やたらに持ちたがられるようだから。 これは見方を変えると日本人の意識というのは実体実勢と違って格差とか区別とか差別とかの無い極めて平等で平準化した良い社会である証拠であるかも知れない。 喜ぶべきことかとも思える。 「それじゃなんで貴方は日本の高級車レクサスに乗っているか」と問われれば「言い訳」はある。 購入当時、熊本に有床の診療所を買収して持っていた時期があって、その往復約200kmを安全に、快適にしたかった(当時自動車追尾装置が付いていたのはレクサスだけだ)という明確な意図とそれ以前に所有していた完全なミスチョイスと思えるレンジローバースポーツという今考えると最悪のクルマを早く交換したかったからに他ならない。 旧型のレンジローバーはまだイギリス製であって、故障は多いもののとてもエレガントなスタイリングと乗り心地が秀逸であったのに、それがBMWグループに買収された後はとてもツマラナイ車になり果ててしまって、その乗り心地たるや最悪であった。 長距離に乗ると疲れるし揺れがひどく、その為か腰が痛くなる。 購入当時は芸能人や有名スポーツ選手を中心にそれを持っておられる人が多かったが、個人的には史上最悪の高級外車であった。 所謂セレブの人達が有難がって乗っておられるのがオカシカッタ。 今は燃費も悪く乗り心地の悪さも自然に周知されたようで同車を街でメッキリ見かけなくなった。 今持っているトートバッグはGU製で2000円。 軽くてシンプルでとても使いやすい。 その直前まで使用していたフェラガモのデカバッグと比較すると格段に素敵な使用感だ。 その上何と100倍の価格差がある。 これは使い勝手の問題を度外視しても20万円を丸々残したままお気に入りのバッグを持てることになるので「安物」の有難さここに極まれりといった感がある。 2万円から10万円もするブランドの財布などアリエヘンというくらい無駄遣いに感じる。 もしかして札束を入れるなら丈夫な紙袋が一番じゃないかと思う。 これだとあまりお金を遣わないで済む・・・なぜか財布より紙の封筒に入れているとお金が減らない。 その他衣類や日用品などは勿論のこと、家などを豪邸などよりこじんまりした単純な造りの普通の、それも安価でペラペラした類が好みだ。 多くの人がそれほど所得の高くない田舎住まいで高級車に乗って豪邸に出入りするなんて悪趣味過ぎて個人的な感覚では物凄い抵抗がある。 庶民にまぎれて市井の中に混じりひっそりと生活するのが快適と感じるので、安物でオシャレで清潔な商品を選んでいる次第である。 ただし自動車については世界一安全とされるレクサスLSという高級車の乗らせてもらっている。 以前に乗っていたベンツ450SLC大破事故の経験から乗り手の安全を強力に守ってくれるという高級車の安心感は捨てがたいしとてもエレガントで甘い乗り心地には身も心も魅せられるので一点豪華主義的に高級品を選択している。 何しろ生命や健康に関わる道具であるからだ。 その他の物品や必需品、商品について今は意識して安い物を選択している。 「安かろう、まずかろう」 「安い物は粗悪品」 ということが近頃ではなくなったのが嬉しい。 これは高級品と安物についての比較で「コストパフォーマンス」という便利な言葉があって、チラッとでもこれを計算すると選択の基準として迷うことはない。 世の中には高級品、ブランド品じゃないと嫌だという人々がかなりの数おられてお金もかかるし不便だろうなと少しく同情しながら眺めているが、それで経済活動が成り立っているという側面もあるらしい。 筆者のように合理性、コストとパフォーマンスを勘案すると、どうしても「安物」を選択してしまう。 今でも電気製品では安物=粗悪、長持ちしないという傾向があるが筆者の観察ではお金に不自由している人ほど高いものに拘わる・・・それも理由もなくというのがあるようで、時々気の毒に思うことがある。 余計なお世話であるが。 ありがとうございました M田朋玖 |