コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

[戻る]
■ 医療制度2018. 4.23

筆者の開業した年は昭和57年で、診療報酬(国が定めた保健医療制度に基づいた医療費の価格)が前年の昭和56年から減少させられつづけ、平成30年まで30数年間ずっと下がりつづけた。
当時、厚生省の官僚(医政担当)の説話が医学情報雑誌に掲載されていたが医師の収入を一般大卒者の所得の1.5倍に収束させると言い切っておられた。
何故そんなことを目標にされるのか不思議であったが、その言葉どおり現在その程度になっている。
一流の上場企業もしくは利益率の高い、世界的に販路を持つ精密機器メーカーの或る程度身分の高い人達とくらべてみると今やその報酬は1.5倍どころか逆転している状態である。
さらに現実的には労働時間を換算し時給計算すると大規模病院の勤務医などかなり低賃金になってしまうらしい。

大学の医学部に進学するという偏差値のレベルは私立・国立を問わず激しい努力と勉強をしなければならず、これは入学後もつづきさらに現在の制度では大学6年間の後、2年間の臨床研修も受けなければならないので、8年間は勉強勉強の連続でその内容も一般の大学と比べ呑気に遊びながら「単位を取る」というレベルではなく、それは米国の軍隊の士官学校に近い激しいトレーニングの末に勝ち得ることのできる、かなり「重い資格」なので、社会に出てそれらの努力に見合った社会的地位と報酬と得るべきと思われるが国家の中枢におらる官僚の方々はそうは、考えておられないようだ。
また私立大学の医学部というところは授業料が破格で、現在では卒業まで6000万円以上かかると考えられている。

東京大学などの超難関の大学を卒業して国家公務員になられた方も、少なくとも入学時点では大変な努力をしてそこに入学されたのであるし、国家公務員上級試験にメデタク合格されたワケであるから本来ならもっと好待遇を国家も用意すべきと思えるが実際はそうはなっていないようだ。

医者と国家公務員上級試験合格者、所謂「キャリア」は大学入学前までの勉強の程度、努力、実力は同等と思えるが、医者の場合それほどの知能を有しない者までもが人によっては幼少期からアトトリ息子(娘)として厳しく教育を受けているので、元々の頭脳明晰者が多いと考えられる「キャリア」の人々とは学生の質として一線を画すると思える。
また大学入学後の厳しい訓練というものも全く違う。

社会に出てからの両者(医者とキャリア)の比較では、かつて医者は高収入、キャリアは「そこそこ」という少なくとも初任給については世間並みに抑えられている。
ところが年数が経つと前者が横這いかやや減少傾向があるのに対し、後者は順調に出世していくとかなりの高収入になり色々な諸手当、退職金、天下り、有意な人物については国会議員その他政治家としての出馬なども有り得る。

今は「天下り」については世間の目が厳しいが筆者の個人的な考えでは「天下り」くらいあっても良いのじゃないかと思う。
国の為に一生懸命頑張って来られたのであるから。
それくらいの余禄がないと若い時の苦労、それも国家国民に尽くすという遠大なる公僕のエリートとしてのモチベーションに関わる。

純然なるエリートというとキャリアにその権力、能力、数の稀少さにおいて医者の及ぶべき存在ではないが、ここで問題なのは多くの医者達は形式的にも本質的にも彼ら(キャリア)に支配されコントロールされるという悲しい実状である。
世間的には政治家への圧力で官僚の考えややり方を変えさせるチカラが医者の団体、たとえば「医師会」などに強力にあると考えておられる方が多いと思うが、こと政治的影響力については製薬メーカー、医療機器メーカー(多く大企業)などはその財力によって、看護師さんの会(看護協会)などはその数の多さにおいて医師会などより大きな力を持っており、同会などは薬剤師会、歯科医師会などとドッコイドッコイなのではないかと推測している。

また「医師会」についてはその団結力は極めて弱く、組織として勤務医の中心に入会率も低く、また医者の中にも官僚の手先となって国家の側、体制の側に立つ、多くの医者から見ると無自覚な「裏切り者」、即ち「医療監視や制限診療に手を貸す」輩までいたりして日本医師会のチカラは年々落下して来ている。

医・薬・看・メーカーと結託して国家に影響力を及ぼそうという動きも今のところない。
とにかく数兆円規模とされる医療・健康産業については各種団体の動きはバラバラで結束力がない。
結果、政府・行政に対して大きな影響力を持つことができないでいるのが現状である。

医者が困れば看護師さん他、パラ・メディカルスタッフも薬屋さんも医療機器メーカーも製薬会社も困ると考えないのであろうか。

法的には現在でもこと医療について主導権は医師にある。
それを一生懸命制限し、コントロールしようとする官僚の人々の「考え」も理解できないワケではないが、今やそれをも脅かす勢いである。この傾向が高じると医療というものは医者じゃなくてコンピューターかなんかさせればいいというレベルになってしまうのではないか。
医療経済と言えども常に支配しコントロールされなければ、好き勝手に、野放図にさせておくことは国家の為にも国民のためにも好もしくないというのは理解はしているつもりであるが。

これらを諒解した上で筆者の医療制度についての「考え」を少し記してみたい。
医療について難しい問題、矛盾する問題として『「病気」というものが重く、長引くなど悪化するほど医療の手が入り医療機関もその関連企業も儲かる・・・という仕組み』になっているところだ。
国民の側、個人からするとこれはかなり矛盾というか患者さんの利益と「医」の側の利益が相反するのにこのことに着目せず、相変わらず重病者にはお金がかかり軽病者には逆という現象について殆んど看過しているという現実を見ないように、見せないようにしているカラクリ、勢力があるような気がする。

たとえば「2型糖尿病」を例にとるとインスリン注射、腎透析など疾病が重病になるほど「医」の側の利益が上がる。
その逆に軽症のウチに治す、とどめるということを真面目にしている医療機関は「医」関連企業を利益的に潤すこともできない。
即ち「儲からない」真の意味で患者さんの為になる医療行為をしているのに利益は「上がらない」・・・と言う強烈な矛盾があるのだ。
また制度の方もそれを下支えしてる。

「食事指導」とかで結果(患者さんを治す)を出しても重症糖尿病の治療と比較すると殆んど経済的な「ご利益」はない。
これらの状況は殆どすべての疾病に当てはまるので、一度ゆっくり深考されたら面白い。
しかしながら、これらの実態は考えてみれば極めて由々しき問題で、これまで繰り返し述べて来たようにその疾病を簡単な治療で予防し治した方に費用を高くすべきであるのに制度としては逆になっていて、そのことに誰も(「医」の側も為政者も)目を向けないように見える。
只、医療関連の企業のアタマの良い人達はこのことをよく「知っている」のに目をつぶっている。
知らんふりをしている・・・ように見える。

かなり前の「愚コラム」で「名医というもの」というタイトルがあって中国の古典にもそういうことを説いた一文がある。大昔から医療についてはこのような矛盾を含抱しつつ、制度的に少しも洗練されることなく発展してきたようである。
また今の医学のレベルが筆者の開業時より進化発展しているとはとても思えない分野が「かなりある」と知っておいた方が健康維持とか増進には良いと思える。少なくとも治療法については。現代の医学とか治療の常識を盲信してはいけない。勿論新聞やテレビ、週刊誌などもっと用心しておいた方が良い。出鱈目な情報もかなりあるようだ。
それにしてもこと「医療制度」については30数年の間に便利になるどころかドンドン不便になっているのはどういうわけだろう。患者さんにとっても治療者にとっても。不思議だ。
紙面の関係で筆者の医療制度についての提案は後述したい。

ありがとうございました
M田朋玖



濱田.comへ戻る浜田醫院(浜田医院)コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせいよくある質問youtubeハッピー講座