コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 挫折2018. 3.29

失恋とか失敗とかと同じように挫折は若い時に数多くしっかりと経験しておいた方が良いと思う。
筆者には子供が4人いて、娘一人を除いて3人の息子にはそれをして欲しいと思っていたが、最も挫折を多く経験したのが現在医学部の二男である。

小学校の時から医者をめざして勉強にはげんでいて、毎夕の塾通いには持ちきれないほどの本や参考書をリュックサックに詰めて山登りをする小さな子供のシェルパのように出かけて行く。
その幼い後ろ姿を見るにつけ「凄い」とか「偉いなあ」とかとにかく思わず落涙するほどに激しい情感を揺さぶられたものだ。
二宮金次郎どころではない。
勉強の内容が半端ではないからだ。
これは後で知ったことであるが中学受験の為に小学校の後半期には熱心に勉強した経験を持つ者は何事においても成功しやすいそうだ。
筆者も中学受験はしたが、我が息子ほどではない。

それで結果としてその頑張り屋さんの息子はめでたく九州でも名だたる進学校の長崎青雲中学と佐賀県の弘学館中学に補欠ながら合格し、前校に入学を果たした。

・・・ところがどういうワケか以後勉学に身が入らず中学2年に進級して間もなく学業成績不振の為に退学させられてしまった。
早くも中学時代の挫折である。
ところがその母親、即ち筆者の配偶者もそれほどの落ち込みは見せず「いいんじゃない」と特に本人を責めるわけでもなく地元のあまり評判の芳しくない公立中学に編入した。
この配偶者の反応には驚いたが筆者自身も幼少期の挫折は長い目で見ればよい体験と思い温かく看過していた。

順調に地元の唯一の進学校、平たく言えば公立の普通高校(人吉高校)に進学し、とりあえず上位の成績ではあったもののとても私立はおろか国立の医学部なんて奇跡でも起こらない限り到底無理というレベルの偏差値であった。
その上、医学部志望という目標もその為の勉強の労苦を厭うたのか挫けてあきらめかけていた風であったので家族全員の意識レベルもいくらか低調になった時期であった。

当然ながら高校卒業直後の受験、即ち現役での医学部入学は果たせず浪人ということになった。
2回目の挫折である。
それで福岡県の久留米市にある某予備校で医学部に再挑戦することになった。
ここでも結局3浪、トータル3回の辛い挫折を味わったことになる。
浪々の身というのは何とも言えない精神的辛さがあるものだ。
身分としてどこにも所属しておらず(予備校というのは基本的に何の自慢にもならないし、表立って人に語るべくもない)、医学部志望というだけで医学生とは天と地ほどの開き、差異がある。
メジャーリーグとマイナーリーグよりも開きがあるかも知れない。
何しろ何も決まっていないのだから・・・。
アルバイトもできないので無収入。
親の仕送りだけが頼りである。

それらの挫折と辛苦に耐えて無事に入学を果たした時にはそれはそれは大変な喜びようで、合格した本人もさることながら家族、会社全体としても心から安心した・・・というような歓喜があったようであった。
それにしても少年時代から努力と勉強とに明け暮れて度重なる挫折を味わいながらいずれも挫けることなく目標を達成した息子を我が子ながら心から尊敬する。

出来得ればそれらの心境や体験、周囲の人々の援助を忘れることなく今後の人生を謙虚に、勇気をもって邁進して行って欲しいものである。
とりわけ筆者のバスケの後輩に感謝させたい。
何しろ医学部志望をあらためて再挑戦することに導いてくれたのであるから・・・。
まさに恩師そのものだ。
この人物は無名の公立高校のバスケットボール部を全国大会に導き、一躍県下でも有名校に育て上げ、後進に譲り渡したという別の意味でもプロ中のプロと呼べるような教育者であった。

教育専門の某有名国立大学の出身で、高校でも常に上位ヒトケタでとても頭の良い優秀な男であったが気性も激しく筆者とはバスケの練習中に何度かやり合った9才年下のバスケットボールクラブの後輩である。
彼の個人生活では色々な波乱の多い人物であったが、感情家で涙もろく心根の優しい「良い男」である。

この人物の祖父は当院の病室で老衰の為に他界した。
つまり最後を診させていただいた。
これも何かの深い御縁であろう。

予備校の先生にも一度だけ面談したことがあるが、その時に成績を見せてもらったがとてもとても医学部に入学できる偏差値レベルではない。
瞬間的に頭を抱えたものだ。
その担当の先生は、それでも「希望はある」みたいなことを言ってくれたが、これは奇跡でも起きないと成就できないと観念し神仏に祈るしかないと易や占いをしてみたら3回に2回は最凶の卦が出て半ばあきらめていたところ浪人3度目の挑戦で受験した大学4校のウチ3校に見事合格した。

易占に従い最も方角が良く、占いの卦でも最善の大学に入学を果たした。
浪人回数の多い学生は一般に成績不良者が多く、留年もいるのであるがよく頑張っているようで成績も上位を維持し、今のところ留年の憂き目にも遭っていない。
ありがたいことである。
多くの挫折体験が彼を救ってくれているようで、少しは人の話を聴くようになった。
もともと筆者と同じように鋭いシャープな頭脳の持ち主ではない。
どちらかというと、完全な努力型で不器用な人間である。
モノの本にはそういう人間の方が大成すると書いてあったのでいくらか慰めにはなるけれど。性格はとにかく良い。子供のころから人に好かれる優しい男だ。自分とはそこも違う。純真で明るい。無邪気素朴飾り気がない。
ヤレヤレ。子供は親の鏡というが欠点が剥き出しになる。自分の。
「ウサギと亀」の寓話にもあるように幼少期にはやや愚鈍なくらいが良いそうである。ウィンストンチャーチルは幼児期に知的障害かと思われたくらいであるらしい。

いずれにしても、人生全体を考えれば若い時の挫折というのは決して悪いことではない。
現役でストレート、留年もなし・・・みたいな若い時に順風満帆と言った人間は将来的にあまり・・・と言うか殆んどパッとしない。
また少しの挫折にも弱くチョットしたことで自殺したり落ち込んだり死んだりすることもあるらしい。
意外なことに若い時に順調だったとみられるエリート官僚などに自殺が多かったりエリートサラリーマンがホームレスになったりすることが多いそうだ。

実は若い時に挫折や苦労を知らないというのは人生にとってオソロシイことなのである。そういう意味でそれらを十分に味わい、とりあえず乗り越えた息子には少しだけ安心感がある。
一方愛する一人娘はというと成績については申し分無かったが何事につけ困難に挑戦すると言うことがなく、従って辛い挫折もないが、その能力の割りに少しも実りがなく「喜びもないが苦しみもない」という泣かず飛ばず」の人生を送っている。「挫折」には困難への勇気ある「挑戦」という大切な前提もあるのだ。
言い換えるなら挫折や失敗は恐れすぎてはいけないということだ。特に若い時は。

追記
大学合格後に受けたクルマの「運転免許試験不合格事件」がある。自動車学校を卒業して試験場の学科試験に2度も落ちたのだ。この珍事にはいささか驚いたがさもありなんである。それくらい要領の悪いところがあるのだ。筆者ではそれはまず起こらない。ひとつにはクルマの運転が好きで興味関心がハンパなレベルではないこと。陸軍士官学校あがりの父親に「軍人は要領を本分とすべし」みたいなことを厳しく仕付けられたおかげで、それが完璧にできたわけではないが、少なくとも試験における要領については常々練熟するように意識しているのでそのような類の試験はいつも満点である。
大学の学業成績は息子の方がはるかに優っているが。

追記2
先週末に息子に会ってきたらこの印象が払拭できなくて何となく心配が続いている。大丈夫かいなみたいな。親バカとは良く言ったもので子供のことを語るとどこかしら自慢気になる。その上産まれた時から自分の子供というのは食べてしまいたいくらい可愛いかったが成長してもそれは続いている。予想外だ。

ありがとうございました
M田朋玖



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