コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

[戻る]
■ 同窓会名簿2018. 2.14

同窓会名簿を新しく製作するということで、完成したら「買ってください」との連絡が大学からでなく聞いたことの無い会社からあった。
放っておいたらとうとう名簿が手に入らないことになってしまった。
卒業してから30年以上経っているので、それらの名簿そのものに関心が薄れてしまっているのもあるのだろう。

入学当初、即ち新設の私立医大で1期入学であるし、その年度のせいぜい10年間ほどの名簿があればコト足りるし、今現在の母校・東海大学に特に興味は無い。
とても誇りには思っているが・・・。

以前にも書いたように大学医学部は単なる「実業学校」と見做しているので、その存在は極論するなら自動車学校と同じようなものだ。

免許を取得する為の学校・・・。
名簿をツラツラと眺めわたしても殆んど興味をそそられるものはない。
卒業生の殆んど100%は医者になって開業医か勤務医、中には大学の教授になった同輩や後輩がいるが、それほどの学業成績の秀でた卒業生がそれらの地位を築いたのであるから、多くそれらの志向性(勉強や研究が好きで得意)によっての結果だろうから尊敬はする。
それでも教授とは言え大学の勤務医に分類されるので同窓会名簿を見ても大きくこの2種類(開業医と勤務医)しかなく、大実業家になって大金持ちになったとか流行作家になったとかスポーツ選手になったとか芸能人になったとか殆んど聞いたこともないし見たこともない。
少なくとも超有名人とかはいない。
ただ大学の医学部長とか病院長とかになって業界内で名が知られたりテレビに出演したりしている後輩のドクターは何人かいる。
大したものである。

それでも有名大学、例えば東京大学とかの出身者名簿などでも相当の有名人になった人は意外なほど少なく、東京大学に限ってもチョット思い出せる人物としてはホリエモンこと堀江貴文とかリクルートの創業者で天才経営者と当時言われた江副浩正くらいしか頭に浮かばない。
日本の有名大学出身者が必ずしも世間的な、特に名の知られた超有名実業家になったりする確率は極めて僅少であるようだ。
大企業の役員には多いらしいけれど・・・。

学業成績の良かった人の弱点というのは「挫折を知らない」とか「自己肯定感の高さ」とか、それに伴って起こっている「ハングリー精神の無さ」とか「思考が固定化、即ち答えのない問題を本能的に嫌う」とか色々な、どちらかというとネガティブな側面も意識しておかないとせっかくの頭脳明晰さも実人生やビジネスに生かしきれない可能性もあるように思える。
高学歴で有名な大学出身者は一般的に「仕事が出来ない」という例が殆んどである。
看護師さんについても多く正看護師より准看護師の方が面接試験(常識問題)の成績が良かったり、実際の仕事の有能さも秀でていたりするようだ。
これは「資格」や「自己評価」が仕事の邪魔をするような印象を持っている。

仕事の現場では「他者評価」が高く「自己評価」の低い人の方が一般に仕事が出来るそうで、逆の人は「出来ない」傾向があるそうである。
要するに本人の努力への志向性であろう。
有資格(医師)の人間としては自戒したいところである。
筆者の場合、常に自分の価値や魅力については「医者である」というアドバンテージを持っていると自覚していて、裸の「生」の自分自身の存在や能力については相当に低く見積もっている。
・・・だからと言って「自己イメージが低い」ということはなく、どんな高い身分・・・たとえばどこぞの国の大統領とか国家元首とかノーベル賞受賞者、超富裕層の人々にコンプレックスを抱くこともないし嫉妬することもない。
「自己評価」の低さと「自己イメージ」の異常な高さには自分の内心では全く矛盾はなくて、それは「大欲は無欲に似たり」とか「死んでしまったらみんな同じ」とか生きていくのに「立って半畳、寝て一畳」とかの言葉や知識の助けもあり、常々学んでいる仏教やその他の哲学的深考によって心の中に生じている「無常観」みたいな考えが厳然として存しているお陰と考えている。
或る程度「人生を見切っている」とも考えてるし、物事の優先順位をいつも意識している。
それは自分自身の出自(両親や御先祖とか日本人であることなど)についての誇りや満足感や周囲の人々への深い感謝の心のお陰と思える。
高校も進学校だったおかげで〇〇医師会とかも存在していて(医学部進学率が高かった為)年1回集まりがあるが、大学の同窓会とか医師会とかのそれと同じように少しも興味関心を刺激しない。
結果、参加はしない。

会話の内容が浅薄な感じがするのだ。
どうでも良い自慢話とか昔話を聞かされるのも嫌だ。
それは大概「クルマ自慢」とか「子供自慢」とか、今は少なくなったが「アタマの良さ自慢」とか昔は「ゴルフ自慢」とか言うのもあって聴き苦しい。

それでも子供自慢については大変結構なことであると思える。
何しろ子供自身がそれで喜ぶであろうし、ひとつの愛情表現のカタチなのでそれほど気にはならない。
それが他の自慢話、それもクルマを含めての自分が所持している様々な高級ブランド品をそれとなく自慢をされても「へえ〜そう」「それが・・・」という程度の感覚しかないし会話の時間の無駄である・・・と思えるので、そのような会合には殆んど行かないようにしている。
多少傲慢な人間と思われるかも知れないがこの年でこの貴重な毎日の人生の時間だ。
大切に愛おしむように過ごしたい。

20年前に市の医師会の理事の席を戴いていたことがあって県の医師会にも義務として出席させられていた時に本当にビックリするような光景に出くわした。10人ほどの会議だったのにだれ一人挨拶をしない。いい年をしたおじさんが全員、仏頂面で押し黙ったまま自席でうつ向いて座っておられる。
県の医師会にも人間的に素晴らしく有徳の人物も結構おられるが、多分少数派であろうことがこの一事で推量される。以来あまり愉快な気分を味わうことが期待できないので、これまた足がさらに遠くなってしまった。

そう言えば当社におられた生命がけで肝臓移植をして九死に一生を得てロンドンから生還された外科のドクターは「医者の集まり」、会合にまったく一切出席されていなかった。さもありなんである。人生の時間の貴重さを命懸けてで感得されたのだ。
「移植手術」以来さらに時間の貴重さをあらためて痛感されていたようで、筆者もそれに倣うようにしたら殆んどのそれらに参加しなくなってしまった
その時間で好きな本や映画を読んだり観たり、ごく親しい人とのひそやかで有益な会話とか大好きな仕事とその関連の事柄に費やしている。

結果的に毎日が凄く楽しいし充実している。
有難いことである。
会食会合についても自分の会社の人々と仕事の話を憚らずするのが一番楽しくて、これはひとつの精神的堕落、怠惰と思えないこともないがやっぱり自分の人生だ。
どうでも良い無価値(自分にとって)な事柄にそれを使うのはとてもモッタイナイ・・・とますます考えるようになった。

ありがとうございました
M田朋玖



濱田.comへ戻る浜田醫院(浜田医院)コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせいよくある質問