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■ 愛車 | 2018. 1.12 |
昨年末(平成29年12月)に近所のコンビニでフェンスのポールに車の右フェンダーをぶつけてしまい、醜く変形してしまった。四方八方小さいながら傷だらけであったので我が愛車を板金塗装に出すことにした。 10年目のレクサス600hも少々くたびれているもののデザイン的には少しも古びておらず、新型と比べてもあまり遜色はない。 逆に優れているところもある。 特に内装の出来はよりシンプルだし、フロントマスクやリアの細部の造り込みは初期型の方が落ち着いていて優雅に見える。 「代車」として会社から借りているニッサンのティアナに乗ってみるとかなり見劣りする。 これは全てにわたっていて、デザイン、乗り心地、燃費、内装、馬力など際限がない。 価格を考慮すれば当然のことなので、これだけ差異があればレクサスの高価さも少しは納得できる。 ことにその乗り心地はトヨタ車特有のトロンとした幾分手応えのないダルなフィーリングなのであるがそれがまた好もしい。 チョット表現するのが難しい乗り心地でBMWとかベンツとか乗ると瞬間的に「これは良い」(外車の方)と思うのであるが、これもまたすぐに倦きる性質のもので、トヨタ車のそれは或る種独特の完成度なのである。 以前中古のBMW535に自慢気に乗っていた時期があって、たまたま知人のトヨタのマークXに乗る機会がありハンドルを握って運転してみたら、そのトロケルような乗り心地の良さに圧倒されてしまった。 40代〜50代の頃までは好奇心もあって外車、特にドイツ製のそれに憧れて乗っていたけれど、或る時、熊本市内で酒を飲んでしまい代行運転を頼むことになって微酔も手伝っていくらか饒舌にクルマについての感想をその年配の代行の運転手さんに尋ねてみたところ「フン」といった態度で「何で若い人は外車に有難がって乗るんですかねぇ」とエラソーにのたまうではないか。 ついでに「一番乗り心地の良いクルマは何ですか」と問うと「セルシオ」とのことであった。 「次は?」「クラウン」・・・。 なるほどトヨタの高級車というワケですネ。 昔テレビのコマーシャルで「いつかはクラウン」というフレーズが流行していた時期があって、今でも多少はそうした気分があるかも知れないがこうした乗り心地についても国際的なレベルにいつの間にか達していたのであったのかも知れない。 価格的にはクラウンがレクサスというブランドに入れ替わろうとしているように見える。 いずれにしても個人的には軽いカルチャーショックで、これは10数年前(代行運転手さんの話)の経験である。 以来、再び国産車、それもトヨタ系のクルマに乗るようになって今回しばらくの間、愛車と離れることになって恥ずかしながら少々センチメンタルになっている始末なのである。 年末年始は特に精神状態の良い時には「車中泊」も予定していたので、これが果たせなくて結構残念であった。 クルマと何時間も何日も過ごすというのは前回のコラム「自動車旅行」からの文脈からも筆者にとって或る意味「至福の時」で、その頂点に「車中泊」というものがあるので推して知ってもらうと有難い。 車中泊と言っても本格的なキャンピングカーとか大きなワゴン車とかの車室内に広々としたいかにも「寝れますヨ」というような空間であると意味がない。 普通の、それも高級車のセダンの後部座席に横になって眠るのが好きなのである。 これは多分に少年時代の貴重な体験に基づいて起こっている心の快楽であろうと思える。 小学校時代の火宅の状態については再三述べて来たことであるが、あらためて書き記しておくと激しい夫婦喧嘩と筆者に対する意味不明の父の暴力とから・・・、実際は「暴力への恐怖」逃れる為にとっていた子供のなりの行動というものが強烈な癒やしのイメージとなって脳の中に焼き付いているのである。 そのイメージとは「逃げる」というもので、それは勿論「火宅」からの逃走で二階の便所の窓から屋根伝いに暗い夜の家外に出てしばらく街をさまよい、結局は寝場所として自宅の車庫の中に納まっている自家用車の後部座席で眠るというもので、それは心が折れている傷つきまくった「いたいけな」子供にとって究極の安息のネグラだったのである。 しかし今考えてみるとクルマの鍵がかかっていなかったのが不思議である。やはり両親特に母親の采配なのであろう。息子のそれも子供の行動パターンなどすべてお見通しだったのだ。それもまた口惜しいことではあるが。 このことは或る程度心理学を学んだ30代後半から40代で判明したことで、それまでは異常なほどクルマに執着していた青年期の行動・・・たとえば一人で九州から広島や大阪、果ては東京まで年末に車中泊を繰り返しながらクルマで出かけ、疲れること倦きることを知らなかった・・・という事実を心理的に分析してみて自分なりに納得できる「説明」なのだ。 当時(クルマでの長距離走を好んでいた)は少年時代に家出をしてクルマの中で眠っていたということを思い出しもしなかった。 それは深い記憶の底に眠るトラウマのほんの切れ端なのである。 少年時代の家の中の日常というものの記憶が8才年下の妹や3才年下の弟のように鮮明に思い出すことが出来ないのでその言わばパンドラの箱は未だに開けることはできないし、開ける勇気もないし、開ける意志もない。 いずれにしても我が愛車が板金屋さんから帰って来るまで自分の心の屈託や孤独感を慰める手段の1つがしばらくないことが寂しい。我が愛車は大きくて頼もしい慈父か聖母のような優しさで迎え入れてくれ、暖かく包み込む冷暖房完備の狭い空間は高級ホテルや高級旅館、ましてやカプセルホテルなどよりはるかに快適で心楽しい道具、機械、家なのである。 そうしてその愛車と離れているのが情けないことに、物凄く心細く寂しいのだ。 いかに自分がクルマを必要とし、愛しているか。 またその理由も心の旅路を辿りながら明らかになって精神的には少し落ち着いて来た。 代車のティアナもそれなりに結構良いクルマではあることに気付けたし、楽しめないワケではない。 只、燃費が悪いし、ブレーキも利かず、そもそも乗り味が自分の感覚には合わない。 ありがとうございました M田朋玖 |