コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 女たちへ2017.12.24

最近は塩野七生という女流作家に少しだけ凝っている。
その為にカズオ・イシグロの本が3冊読了で止まっている。
新しい文庫本が重ねられ床に置かれたままだ。

塩野さんは昭和12年生まれの九紫火星。
女性の星である。
そのせいか男性にご興味があられるようで、その著書にも「男の肖像」「男たちへ」「男たちへ2」と文春文庫から3冊出版されている。
男性の興味関心と言っても別に「男好き」というワケではなく単に男性の存在や在り方についてのそれであるようだ。
知的好奇心と呼べるような関心であられるように読み取れる。
それで表題のような言葉を掲げてみた。
筆者自身は一白水星という星なので男そのものである為か男には殆ど何の興味も関心も湧かない。
専ら女性に対してのみそれを感じる。
それは「女好き」と呼ばれても仕方のないレベルで、女性の一白水星の方も中身は男なので自分自身を性の対象と見做すことができるようで性の楽しみ方も他の星の人々よりも豊潤な感じに見受けられる。

ちなみに性の話を少し星別にしておくと、中身が男の星は一白水星、三碧木星、五黄土星、六白金星、八白土星で、それが女性の星は二黒土星、四緑木星、七赤金星、九紫火星となっている。
淫蕩な星というとそれは多く男の星の人で一白、三碧、六白などが列挙できるが、同じ男の星でも八白土星だけは何故か性的には男女共淡白である。

話を戻すがその九紫火星の塩野七生の著書であるので「らしい」というか歴史上の人物、それも英雄的な「男」がお好みのようで、それらの人を題材にした内容の類かそれらの男たちを中心に一般の男を評価、査定されておられるようでいくらか手厳しい。
それでもその口の辛さが一種の爽やかな読後感があって、リズム感のある短い文章、表現力もあったりして近々ではスマッシュヒットである。
そういう意味でカズオ・イシグロの方がいくらか女性的である。
この方も筆者の分析では九紫火星の人である。(一般の易の本には一白水星となっているがこれは断じてないと書いておく)

前置きが長くなった。
筆者のやや厳しい目の鑑定眼からすると最近では残念な女性が多くなった気がする。
せっかくの美貌や容姿の良さもそのファッションや言動によって台無しになっている例が多い。
モチロン逆の人もおられる。
それ程でもない容貌の女性でもそのたたえている雰囲気、ファッション、言葉遣いなどでかなり魅力的な方である。
後者の人は最近では殆んど見かけなくなった。
本当に残念な現象である。

これは世界中同様なありさまであるようで、少なくとも海外の報道番組やアカデミー賞の式典などで垣間見ることのできる女性達の風態を観察しても結果的に同じ印象を持ってしまう。
特に日本人だけに限ったことではないようだ。
このことはモチロン男性にも言えることで女性に限ったことではない。
最も非道いのは所謂「芸能人」と呼ばれる人々である。
センスの良い人物というのは極めて少ない。
「なんでそんな服着るの?」みたいな女性が堂々とそれを着てテレビなんかに出ておられるのを観ていると、マネージャーとかディレクターとかそういう人々の周囲の人は何も言わないのかと強く疑問に思う。

それに多くの人々の選ぶ「美しい女性」と言われる女性については筆者のごく個人的な印象では少しも美しいとは感じないレベルの人が多い。
市井の中にいる普通のOLとか人妻の中の方に「美しい人」が多くおられる。
それでそういう芸能人の女性達を基準に自分の言行やファッションや生き方を決定しておられるような人についてはただちにそれを止めるようにお伝えしたい。
とにかく悪い見本が多いので彼らを決して参考にせず自らの審美眼を鍛えて、磨いて自分のアタマでしっかり考えてそれらを選択するべきであろうと思える。

元々、男性より女性の方に「ミーハー」的な人が多いと聞いていたが、AKB〇〇とかに夢中になっている「二次元」の男性も多いのであまり強弁はできないが、少なくともテレビや女性雑誌などを見て自らの生き方やファッションを決めるのはやめておいた方が良いと重ねて忠言しておきたい。
その個人の生き方はまず言葉遣い、ファッションに表出されるというのが筆者の持論だ。
男性の中には言葉遣いはともかくそれらに無関心無頓着という立派な方もおられるが、相当の自信家でアタマも良く、偉人と呼べるレベルの人物もおられるので、ファッションというものがひとつの自信の無さの表れかも知れないが女性の場合、どうしても生来的に持っている特質「異性に愛されたい」という性向、自己表現の方法として上記の項目はかなり重要であろうと思える。
それらを無くしてしまった人間はもはや女性でも男性でもないただの「ヒト科の生物」としか表現できない存在であるに違いない。

何よりも色気を喪失した人間が魅力的である筈がない。
そしてその色気は「抑制」が効いている時に初めて発揮されるようで「色気ムンムン」というのは男女ともNGであるような気がする。

さらに偉大な英雄的女性というのはその字面のとおりもはや女ではなく男なのであるから女性の社会的自己実現は自らが影の者として男を使ってそれを果たすのが歴史的にも物語的にも美しいのではないかと考える。
クレオパトラだとか楊貴妃とか呼ばれる絶世の美女たちもその美貌よりもその権力の駆使の仕方、男の扱い方、使い方によって歴史に名を刻んでいるのではあるまいか。

それにしても女性というのは、かくも魅力的で可愛いらしいのか、不思議な存在なのかと心から思う。そういう風に思わない男性も数多くおられるが、彼らは大概女性の星で女性のことをよく知悉している人が殆どだ。
筆者にとって女性は永遠の謎でいくつになっても、知れば知るほどその魅力を維持し続けている。これは体調のバロメーターでもあるので、これらの感覚が内面に充満しているとき、極めて調子が良いという実感がある。絶好調のとき、すべての女性について或る種の心地好い愛おしさみたいな感覚を味あう。
そういう言葉の一方で、女性に対して一種の冷酷さ残酷さを筆者の心の中にいくらか発見できるけれども、それが何故存するのか今でもよく分からない。

ありがとうございました
M田朋玖



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