コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 新車2017.12.20

「畳と女房は新しいほど良い」という日本の諺があるが、クルマとかオートバイとかも新車を好み、それを購入することを尊ぶ人がいる。

筆者の場合、特に新車を好むということはない。
性能や外観に大きな問題が無ければ中古車で充分であると考えている。
特に国産車の場合、その中古車が大過なく生き延びたのであればそれは「運が良い」として或る意味信頼を置いている。
そういう意味では事故や故障を繰り返してきたような「いわくつき」のクルマを掴まされることもあるので、或る程度の用心はいるものの、最近ではそれらの査定がしっかりしているようで大きなハズレは少なくなった。

バイクにしろ、クルマにしろ、新車を買った時には自分で運を創っていかなければならず、丁寧に取り扱うとか安全運転をするとかよりも契約日とか納車日の吉凶についてかなり気を遣っている。
昔は所謂最寄りの或いは地元の神社で「お祓いする」のが常道で、ひとつの習わしであったが、今はそのような大仰な行為は廃れてしまったようである。
かつてはクルマの価値も家の値段と同じくらいだったのでそれほど大切に思う気持ちもあったのであろう。

お祓いについては悪い風聞があって、ある神社でお祓いをした直後に事故を起こして新車が大破してしまったという話をつづけざまに聞いたことがあって、以来実家が神社であるのにクルマのお祓いは控えている。
そもそも宮司さんも多忙であるし、たかがクルマ如きでお祓いでもあるまい・・・という時代になったようである。

ところが新車が急に欲しくなってしまった。
それは今年(平成29年)10月19日に発売開始された新型レクサスLSである。
あれほど当方のコラム(悲報)でさんざん悪口を書いたのにこの節操のない宗旨替えも我ながらいかがなものであろうかと多少忸怩たる思いもあるが、人間の心などコロコロ変わるものなのであるから仕方のないことなのだ。
情けない。
それはある観光地の見晴らしの良い展望台の駐車場にさり気なく停めてあった純白のレクサスLS500で、持ち主(乗り手)がいないことを確かめてしみじみと外観を眺めてみたら結構イケてるクルマであった。
それほど醜悪でもない、そこそこの流線形。
デザイン過剰とも思えた例のスピンドルグリルもあまり気にならない。
敢えて難を言えば少々デカ過ぎる。
周囲を威圧する存在感も、今や高級車の代名詞であるベンツやBMWと比較するなら、それらよりも日本的に良く洗練され、それらの幾分武骨なデザインからすると繊細な印象で好もしい。

たまたま見かけたのが白色という為かドイツ車との比較がしやすいので、ネットの情報にもあったように日本車のデザインがさらに進化して世界中に或る種のインパクトを与えるレベルに達したようにも見受けられる。
即ちその性能の信頼性だけでなく、外観のデザインによってもリーダーシップ、創造性を発揮しているのではないかという期待のこもったワクワク感をもたらしてくれているといった感想だ。

それで久々に「欲しいクルマ」が登場したという喜びがあるので近頃は、こと「物」については久しく所有欲を刺激する新しい商品に出逢っていなかったので結構嬉しい。

それで新型レクサスを手に入れるかどうかなどはあまり問題ではない。
淡い恋心とか憧れに近いもので、女性に例えるなら全く片思いのマドンナみたいな類の欲求でそれ程差し迫ったものではない。
昔、20代の頃に同じくトヨタのソアラに対して持っていた強い所有欲求のような激しいものではないのがいくらか心淋しいくらいだ。
何よりも約10年前に新車で手に入れた初期型のレクサスに心から満足しているお陰でもある。
それは故障ひとつせず元気に走ってくれていて、外観も小さな傷が多数あってもちょっと洗車すれば輝くような高級車然としており、雨晒し露天の駐車ばかりであるのにその耐久性にはいつも感嘆せずにはおれない。

少しばかり浮気心を起こして新車の試乗会に行っても、くたびれた我が愛車に比するとそれらの新型車ですら殆んど例外なく確かな見劣りがするのであるから。
それはただ高価であったからという為ではなく、かなり自動車としての完成度が相当に高いクルマなのではないかと思える。

時々、友人のベンツなどに乗せてもらうと乗り心地とか運転の感覚はとても素晴らしいものであるが、外車についてはその耐久性において日本車からするとはるかに劣る。
このことは大袈裟なことではなく、クルマ通の人なら・・・とりわけ中古自動車を扱っている業者の人なら誰でも知っていることだ。

あまり「乗らない」人にとっては外車も良い。
新車で買って5〜6万km走行で乗り換えるお金持ちなら時には高級外車もイタダケルかも知れない。
しかし普通のレベルのお金持ちならそういう買い物はしないので、やはりレクサスかクラウンになるのではないだろうか。

自動車の使命とか合理的価値観からすると人間と同じように「丈夫で長持ち」即ち「健康で長生き」を基本目標とするであろうから新車の選択にそれほど迷うことはないと思える。

上記したような潜在的な価値観と無意識的な選別基準があって、心の中で外車を省いていての、所有欲を刺激する商品(新車)の少なさに至ったのではないかと我が心を推し量っている。

人間において新車というと、経営者や雇用者からすると新卒を指すのであろうけれど、ひと昔前まで新卒を採るという贅沢も一流の企業にとっては許された時代があったが、超高齢社会にある昨今ではそんな悠長さや余裕もない。
女性にしろ、男性にそろ、採用にしろ、人間を大切にしなければならない時代なのだ。

深い意味で女性については失礼ながら新車よりも中古を好む傾向が自分を含め多くの人の心にあるような気がする。
その中古の程度にもよるし年齢にもよるが、女性にも男性にもその選択される基準について多くの人にもこの傾向があって、全くの未婚の男女よりもバツイチとかバツ〇〇とか或る程度経験のある「新車」でない人々の方が人気があったりするようだ。バツイチとかをクルマに例えるなら車検みたいなものかも知れず、保証書のような心理的な要素があるのかも知れない。

ありがとうございました
M田朋玖



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