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■ 1年 | 2017.11.21 |
たまたま去年の今頃、28年12月頃の自分のコラムを読んでいたらアメリカの大統領選であった。 ついでに近所のバイク屋さんのホームページを観てみた。 それは小雨の降る、12月にしては暖かい日で宮崎県の航空自衛隊・新田原基地で開催された航空ショーをほんの数台のバイクで観に行った自分自身の写真を見ることができた。 それは鮮やかなオレンジ色の雨合羽を着ていて確かに今より「肥えている」 となりのトトロのように丸い体と丸い顔で写っている。 平成28年12月6日。 今年は12月3日(日)に開催予定だ。 今年はそれに向けてのツーリングの計画はなさそうである。 話題に上らない。 それにつけても1年の経過の流れのはやいことよ。 1年ぐらいでは人間はそうそう変化しない・・・ということも確認できたのは喜ぶべきことか、悲しむべきことか。 自分のコラムを読みながら、これは或る意味日記ともいえるなあという感想も持った。 バイク屋さんの写真付きブログもありがたい。 色々な微妙の変化が画像で確認出来て嬉しい。 今年は免許更新の年でもある。 地元の警察署でその交付を受ける予定だ。 ゴールド免許ではなく違反者であるので2時間コースだ。 3年前と免許証の写真を今回のと比べると意外なほど髪が増えている。 染髪しなかったのが良かったのか白髪ながら所謂増毛したような見栄えだ。 1年前と3年前、自分の画像の変化を確認するのも楽しみだ。 それはかなり客観的に見ると1年前とは無変化(体重の増減はあっても・・・)3年前とはかなりの変化(黒髪は白髪に)。 ただそれだけの変化であるのに年月というものを感じる。 巷間よく言われるように、まるで薄皮を剥ぐように失われていくように感じられる体力、気力。 それは急激な減量によって加速されたようにも感じる。 恐らく筋肉量の減少がひびいているのだろうか。 体重があった時の方が元気だったような気もする。 勘違いかも知れないし減量によって体調不良の改善は見られたのだから・・・。 いずれにしても1日、1週間、1ケ月、1年の時間の速度の早さには閉口する。 まさに「光陰矢の如し」だ。 楽しいことは先延ばしにせず、どんどんやってしまおうと思う。 若い人との会話だとこの当たりの感覚が幾分「悠長」であるような気がする。 時間感覚の緊迫感の無さが若者、若い人の特長だ。 特に少年にはそのことを感じる。 時間が無限にあるかのごとき生活態度で、精神的にも行動的にも刹那的だと将来が悲惨だったりする。 若い時から時間に追われる・・・という経験は・・・たとえば試験とか勉強とかは人生における時間の貴重さを知る上で結構大切であるように思える。 少年達はゲーム、大人達はパチンコ・・・とにかく時間という人生の基本的な資源を殆ど何の益ももたらさない遊び事に興じて捨ててしまうモッタイナサよ。 もしかしてそんな人が身内にいたら残念ながらお付き合いはしない・・・というより精神的な接点がないので集うことはないであろうけれど。 今この年になると人生生活における優先順位を自分の人生観、価値観に基づいてある程度決定して一日の行動を選択するようにしている。 平日は仕事があるが、仕事時間のその中身についてもできるだけ生産的な行動、即ち勉強と読書とか書きもの(手紙、コラム、各種書類書き)に充てている。 友人のドクターの中には自室(院長室)でゲームに興じたり、相撲や野球やどうでもいいテレビ鑑賞で過ごしている姿を何回か見たことがあったが筆者にそれはできない。 その友人はどちらかというととても頭の良い温かい人柄の人物であったので、自分なりに人生の時間の使い方を決めておられたようであるので特に差し出がましい口出しをしたことはないけれど、時々不思議に「羨ましい」と感じたこともあるので、どこかしら「悟りを開いた」高尚な人物とも見えたので決して軽蔑するようなことはなく或る意味尊敬もしていたのでこれも不思議なことである。 年を取ると年月の進み方が早くなると聞いていたがこれ程とは思わなかった。 去年が昨日のようである。 その上行動パターンが殆んど変わらない。 変わっていない。 何ということだ。自分はチャンと少しずつは成長しているのだろうかと少しく不安になる。 時には鮮やかにクッキリとした四季があって、これは退屈さを減じてくれているが、ストレスを感じる時もある。 11月下旬の突然の寒気の来訪は瞬間的に人々をとまどわせているようだ。 特に「寒さに弱い」と自覚もし、好まない、それを口にする人にとって冬の寒さはかなり苦痛なようで結構お気の毒である。 筆者の場合、バイク乗りで鍛われたせいか寒さは以前ほど気にならなくなった。 野外では適切に防寒をすれば良いし、室内ではさまざまの暖房器具を2重3重に使って自分自身を充分に温めている。 やれ空気が乾燥するだの、汗をかくだの、喉が渇くなどとつべこべ言わずに思い切って暖房するので逆に心地良いとか暑いとか感じる時もある。 このような時には自分の鈍感さ、無神経さ、アバウトさが有難い。 神経質、過敏な人々は気候の変化・・・暑さ、寒さについていちいち愚痴を述べ本人と周囲を不快にさせるようだ。 数カ月前まで暑くてクーラーを使い、海や川に入って泳いでいた同じ場所で深々とコートやマフラーを纏い、雪の降るのをしみじみと眺める・・・なんてことが何の不思議なく受け入れられ、何の驚きも感じられない・・・ということが当たり前になっている日本の四季。 寒暖差の殆んどないハワイ諸島のようなノンビリした気候。 どちらが人間に良いか分からない。 恐らく総合的に見れば一長一短であろうか。 それらの落差が強く意識されるというのも年令的な時間感覚の短縮によるものと思われる。 1年を待つというのがそれ程の苦痛に感じられなくなったのはありがたい・・・。 時間の貴重さがあらためて強く意識される今日この頃である。 ありがとうございました M田朋玖 |