コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 猟奇殺人2017.11. 6

神奈川県座間市の連続殺人が話題になっている。
27才の白石隆浩という男性が犯した事件だ。
平成29年の夏から短期間に9人もの若い男女を殺して解体処分し、自室の1ルームのアパートに頭部だけを保存していたらしい。

これは過去の同様の事件を参考にすると典型的な屍姦事件なのではないかと考えている。
性倒錯者、異常性愛者もある一線を越えると犯罪になってしまう。
それは人間やその他の生き物を損壊し、傷を負わせ、死に至らしめた場合である。
「性にタブーはない」と言っても上記の場合と幼児や未成年に行われた性的行為は全世界的にご法度になっているようだ。

「ネクロフィリア」という精神異常は生に対するリアリティーが薄まり死に対して性的欲求を感じる・・・とフロイトは定義している。
要するに死者か死に瀕した人間に発情と性的興奮を憶えるというもので、常人には理解し難い精神病理であるが、筆者にはその道の専門家でも研究者でもないのでその構造(精神の)は全く理解できない。
これは小児性愛についても同様で、自分としては比較的に性的嗜好としてノーマルであるようなのでありがたいことである。つまり自分の年齢にそぐわった充分に成熟しきった大人の健康な「生きた」女性に対してしか性的魅力を感じない・・・という意味で・・・。
・・・というのはそのような殺人者とか幼児性愛とかの性的行動は犯罪であるだけでなく、そのことがそうそう簡単に満たすことができない性的欲望なので、それらの嗜好の持ち主であったならそれらを満足させる妄想とか書物とかビデオとか画像で満足を得るしかないらしい。それらの妄想ネタは制作も出版も原則的には違法らしいが、密かに地下で流通しているらしい。
それでもあくまで生身の人間を相手にしているわけではないので、結果的に常に性的に欲求不満な状態であるから本人としては相当に「苦しい」らしいのである。いくら「死体」が好きだからと言って最初から死んでいたら意味がないのだろう。皮肉なものである。死体の鮮度とかが問題なのであろうか。

社会的に見れば全く常軌を逸した行動で、被害者及びその家族からしたら極悪非道の極みであるには違いない。八つ裂きの刑とか火あぶりとかその他諸々の残虐刑をこの犯人に科したいと思われているのではないだろうか。しかしながら「犯人」その個人を見た時に或る種の同情の念も禁じえない。

筆者は医者であるので基本的に死体には興味がない。
モチロン監察医とか解剖学者とか検死医とか死体を検案すると立場、職業の医者、医学者もいるのでこれは微妙な問題であるが・・・。
そういうことを好むドクターもおられるようなのでその精神の中身についての詳細は不明である。

仕事柄、過去に多くの臨終に立ち会ってきたが生と死のギリギリの境目で激しい努力、たとえば人工呼吸とかAEDとか心臓マッサージとか注射とか点滴とかを頑張っても結果(生還)が出ず不幸にして死に至った場合、看護師さんや家族はともかく医者の仕事は死亡診断書を書くことで完全に終わってしまう。

要するに亡くなった途端に「手持無沙汰」になり、することがないので多くの家族に囲まれた厳かな臨終の場ではとてもきまりが悪い思いをする。
「ご臨終です」とか「残念です」とか無言で頭を下げた後はとりあえず何の作業もないので、せいぜい仕方なく葬儀屋さんの手配の助言とか看護師さんの仕事(ご遺体の処置など)を手伝ったりとかをして帰宅もしくは臨終の場を立ち去るまでの時間を潰すのである。

その時に幸か不幸か、遺体には全く興味関心が湧かない。
医者の仕事はあくまで生体とか「生きて活動している状態」にしか無いのである。
先述した特殊なお医者は別であるが・・・。

その職業上知り得た死体というもの、人生の節目に起こる親や愛する人の遺体を見て何かの感興を起こすことはないので、筆者の場合あくまでも「生」への関心が「死」へのそれを圧倒的な配分で凌駕しているようである。
生への執着と言っても良い。
自分を含め愛する人にはいつまでも生きていて欲しいし、このことは自分の家族やスタッフや患者さんや友人知人についても言えることで、できるだけ健康で長生きをして欲しいと心から思うのである。

こういう立場からあらためて死を愛する人、死者に情欲を感じる人を思うとその異常性を「異常」と認識はできるが全く共感も同調もしないので、いささか書き辛いテーマであったがとにかく終わりまで書きつづけてみたい。

旧ソ連時代、アンドレイ・チカチーロという殺人鬼がいて何と52人もの子供を含め老若男女を殺した人物がいた。
これは40才頃に姫路市まで往診に向かう新幹線の中で一気に読了した書物によって知った「連続猟奇殺人事件」であるが、その猟奇性、異常性について自分の好奇心がいくらか向いたようなので、自分にもいくらかそのような性向があるのかと少しく自己分析してみたが何も出て来ない。
つまり気持ち悪いというか不可思議というか少なくとも微塵の性的興奮も覚えなかった。
即ちその書物から少しもの性的興味を満足させるものはなかったということである。
言うまでもなく件のチカチーロは性行為を目的にした人殺しを数年間かけて不定期におこなったわけで、その本には自らの異常な欲望を満たすべく適当な人間を物色するくだりかあってまことにもって不気味であった。こんな人間が存在するのかみたいな不気味さである。

それはともかく多くの人と同様に数々の猟奇殺人、快楽殺人、連続殺人には共通点があって、それはあきらかに性的なもので、とりあえず正常人と言われる人々の多くの殺人犯罪でもその殆んどがお金と異性問題がその動機の主たる原因として収束されるようで、お金の問題はともかく人間の「性」の問題は人間社会の幸と不幸、種々の活動の原動力になっているようである。
そうしてお金の問題ですらも突き詰めると性とか愛の原因に行き着く。
この問題はあらためて整理して捉えておきたいテーマである。
多くの事件というものは社会に何らかのメッセージを与えているという考えに立つと、この新しく生じた連続殺人という出来事はその犯罪の起こり方、手法としてのSNSとか精神病理というかこれに似た事件をあらためて分析して社会的対応を考えるべき時期が来たのかも知れないし、あるいは永遠の謎としてこれまでのように本質的に未解決のまま放置されてしまうのであろうかと考えてしまう。
これらの事件は警察的に、常識的にただの犯罪として捉え、死刑とかの量刑を科して終わりました・・・と済ます例ではないような気がする。

ありがとうございました
M田朋玖



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