コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 学歴について2017.10. 4

これにコンプレックスを抱く人は多い。
不幸にして学業成績も良く学問や学習への意欲が強かったにも関わらず、主に経済上の問題など家庭や個人の諸事情で大学卒以上の学歴を持てなかった人の後悔と言うか無念さはかなりのものであろうと想像される。

中には大学の格付けランクなどで悩む人もいるらしい。
T大学、K大学、W大学などの東京の有名校だけでなく、主にその偏差値でランク付けされた出身大学への優越意識、劣等感なども人によっては相当なものであるらしい。

筆者の場合、医者であるから、大学の医学部というところを卒業しなければ医師国家試験を受験する資格がなく、当然ながら医者にもなれない。
そういう視点から大学の医学部などというものはただの医学専門学校、即ち医者になる為の単なる実業学校と捉えているので出身大学でのランク付けというものは殆んど無意味と考えている。

せいぜい私立か国立か、即ち学費が高いか安いかなどの問題だけで後はどんなボンクラ大学だろうとたとえば日本の超難関大学・T大学の理科V類(医学部)を出ようとどっちだって良いのだと最初から明瞭に割り切っていた。
自動車の運転免許を取るのにその出身校を気にする人がいるだろうか。医師免許だってほとんど同じようなものではないか。資格取得のシステムとして・・・。

個人的には全国の国立大学、公立大学を見回して最も授業料の安く偏差値の低い大学に入学して医者になるのが一番賢いと思える。無駄に難関大学、有名大学に入るのはエネルギーロスもいいところだ。すんなり合格出来る素敵な頭脳の持ち主ならばそれはそれで大変結構なことであろうけれど、普通の知能と学習能力の人が無理して入る価値はない。こと医者になるだけなら。そもそもそんなにアタマが良いのなら医者などになるべきではないと思える。もったいない。その頭脳が。だいたい東大とかに医学部は要らない。官僚の養成学校、たとえばフランスのエコールドポリティクのような存在に徹したほうが良いと思える。一般国民に分りやすい。

このような考え方であり境遇なので学歴コンプレックスというものから全くFreeでいられたので、かえすがえすありがたいことではある。

現在は中学を卒業した時点で就職するか進学するか個人の自由で決定できるワケであるが、自分に確かな才能・天分みたいなものをある領域、たとえば芸術・芸能とかスポーツとか商売とか生きていく術を得られる・・・と応分に自信があるならば早々に社会に出て勉強し活躍した方が時間の節約になる。
場合によってはどうでも良い普通高校(進学校)に行って、どうでも良い大学に行って若い時の大切な時間を無駄にするよりはるかに良いと思える。

しかし忘れてはイケナイのは、たとえ社会に出たからと言って単なる労働をしてはならない。常に学習と思ってその仕事に従事した方が良い。どんな職業からも「学ぶ」ことはできるものだ。それが特殊な分野で高度な技術を要するものなら尚更だ。一般にその仕事の難易度が上がれば上がるほど、もしくはその資格取得の難易度が高ければ高いほどその仕事の報酬は上昇する。

医療の分野でも特別な技術を要する外科系の中にはその領域の技術の習得に相当の努力と時間を要するものであるが、一般的に資格取得の為の勉強に勝るレベルの難易度を持つ分野、科目は少ない。
医者の場合、最も難易度が高いのは実のところ大学医学部の入学試験なのである。

たとえば内科や整形外科などの開業医など自分を含め殆んどアタマを使わないので自然にしているとバカになる可能性がある。
これは大袈裟でなく勉強嫌いで読書もしない開業医の先生の場合、ゴルフとかグルメとかクラブ活動とか特に贅沢な遊興事に明け暮れて相当に脳の働きが落ちている場合が時々あるようだ。
これは全ての科目に言えることで、頭の退屈を感じるお医者さんの場合、囲碁とか将棋とか麻雀とかあるいは特別な医学研究とか文筆業とか政治活動とか医療経営とか他のビジネスとか医師会活動に向かう先生が時々おられる。

時々お医者さんに常識がなくひどく愚かに見える方がおられるが、これは学校の先生などにも時々見られる或る意味「職業病?」なので仕方がない。大学入学とか資格取得の時点がその方の頭脳と学習習慣のがピーク絶頂点で、後は下がる一方だった可能性がある。自戒したいものだ。

たとえば内科開業医の場合、高血圧とか糖尿病とか高脂血症とか、とにかく慢性疾患と呼ばれる病気ばかり診ていると、殆んど頭を使わないのでその機能が衰えてくるのは理の当然なのである。
上記の疾患ではエビデンスとか言って治療法が決められているので殆んど複雑な思考を要しないのだ。
また難しい「考える」疾患について本やネットで調べれば良いし、もっと複雑で難治な病気ならば高次機能病院に紹介搬送すればコト足りるのである。
NHKで放送される総合診療医Gという番組があるがこれに出題されるような病気は極めて稀で一般の人も医者も誤解しない方が良い。そのような難しい疾病を頭の片隅に置いておくのは良いが、深考するのは有害だ。一般医は確率を考え診断すべきで、深考するくらいなら早期に紹介搬送が余程親切だ。

話しが飛んでしまったが、時々T大だろうとその他の有名大学出や地方の国立大出であろうと見たところあまり頭の良い人とは思えないことがある。
とんでもなく頭の良いお医者さんでT大出身の女医さんがおられたが、K大出身にも時々見かけるが自惚れが強く自信家で鼻持ちならないタイプが多く、残念ながら総体的にも人間的にも結果的に愚かな人間とみなされる先生もおられるようだ。
最近ではそのような鼻持ちならないタイプは少なくなって幾分まともなドクターが増えているような気がする。

出身大学で固まって学閥とかを形成する人々がいるが、そんなのが面白いのかどうか興味があるが羨ましいとは思わない。

地方の国立大学出身者に結構多く見受けられるのが「お山の大将」タイプの人だ。
地方の有名校、地方の最高大学と言えば自然に国立大学になるので、地方の「エリート」様であるからそんな気分なのであろう。
傍から見ていると非道く滑稽と思える。
そもそも出身大学だの学歴だの誇ったりして恥ずかしくないんだろうか。
自分が現在携わっている仕事とか身分に余程不満があるか自信がないかなのであろう。
名刺とかには学歴など刷り込むワケにもいかないのでそう表現して満足を得ようとしているのだろうか。
学歴はともかく自分のことをアタマが良いとかエライとか自分で勝手に思ってそれらしく振る舞ったり言動したりするのはまるで道化師ではないか。
その上自分の「意見は常に正しい」と信じている救い難い「大馬鹿」も高学歴者に多いが、普通矯正不可なので熱心な説得など殆ど無意味だと割り切って接した方が賢明だし時間の節約になる。

筆者の尊敬する人物で父親以外に高学歴の人は多くはない。
中には中学卒業とかの人もおられる。
要は卒業後いかに勉強をつづけて来たかだと思う。そして学歴のある人々ほど謙虚に素直に人の話に耳を傾ける必要が絶対的にあると思える。
学校の勉強は単なる土台づくり。
勉強の方法、学習の方法を学ぶモノと割り切って日々勉強と思って仕事に励むことであろうと考えている。
どんな仕事であれ、一心不乱に没頭し色々研鑽を重ね頑張っている人は相当に格好いいしとても素敵だと思う。当たり前ですけど。そもそも学歴なんぞよりはるかに大切なことだし、見ていてとても爽やかで美しい。要はその個人のプライドの根拠を学歴や肩書きではなく人間性に置くことではないかと思える。いかがであろうか?

とにかく自戒、自戒、自戒ですなぁ。

ありがとうございました
M田朋玖



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