コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 婚活時代(男性編)2017. 8.25

夫婦円満のコツを問われた当時オシドリ夫婦で名の知れた米国のスター俳優、ポール・ニューマンは「できるだけ一緒にいないこと」と答えたそうだ。
中国の古典にも「夫婦別あり」という言葉がある。
夫婦は少し「別」でいた方が良いという意味だ。
あまりにも夫唱婦随(古い表現ですネ)とか夫婦和合とかにこだわって一緒にいること、会話すること、一緒に食事をすること、遊ぶこと、一緒に寝ることにこだわらなくても良いのではないかというのが筆者の考えである。
これは個人差というか好み、考え方の問題であるので夫婦でこれらについての考え方がズレると結構ややこしい事態に発展するようだ。
物事は何でもそうであるが多分に“おおらか”である方がうまくいくようだ。
うまくいかないかカップルというのは概ねこのおおらかさが足りず相手に求めることが多く、細かく多彩で多岐にわたりとにかくウルサイ夫、ウルサイ妻は嫌われるしうまくいかない。
年齢が高くなるにつれて長所よりもこれらのこだわり、要するに欠点と思われる性格・気質が先鋭化して良好であった夫婦関係が壊れてしまうことがあるようだ。

アメリカの心理学者の研究ではそのカップルがうまくいくかいかないかは会話の内容を聴かなくても表情を見ればすぐに分かるそうで、それは「軽蔑」というものだそうだ。

お互いが、あるいはどちらかがこの表情を見せた時には大概破綻するそうである。
これは多く家庭環境に起因すると思われるが、よくパートナー・配偶者をあきらかに「見下す」人がおられるが、その「見下し」に甘んじて特に不快感情を感じずに唯々諾々とさまざまな見下し言葉を受け入れる奇特な男性、女性を見かけるが、筆者の場合異常に高い自尊心の為に相方の「軽蔑」や「見下し」についての耐性は殆んどゼロに等しいので殆んど必ずその人物から離れて行く。

家庭の中で夫や妻の悪口を子供の前で「だから男は・・・」とか「だから女はダメなんだ」とかとにかく相方・パートナーを日常的にけなす人がおられるが、こういう家庭に育った男女は同じような行動・言動をなさるようであり、これらの癖は余程の高い知性と教養でもって自制しておかないと自然にそのあらゆる振る舞いに現出され本来円満であるべき夫婦の関係を見事に破壊していくようだ。

夫婦はお互いを愛し、敬い、その存在を尊重し、大切にし、慈しみ、感謝し合い、色々なことを一緒に学び合うことが大切であり、それが傍から見ていて美しい
少なくとも表面的だけでも子供の前ではお互いに礼を尽くし、愛と敬を表現し合うことが望ましい。
戦前の教育勅語にもこれらを謳ってある件がある。
即ち「夫婦相和シ」。
和するというのはいかなる状態かというと一般に「仲良くする」ことと解されていて、それはそれでマチガイでないが「和」という言葉はもう少し意味が深い。
和る(にごる)という意味があって、清くない、即ち濁っている状態を指す。
平和の和についても言えることで、平らかで和っている・・・状態。
「清濁併せ呑む」という言葉があるが「和」するというのは濁する方に近い。
つまり私も相手も濁っているヨ、それを話し合いましょうという意味になる。
先日のタレントの松居一代さんという女性が相手の濁り(不倫か不貞か知らないが)を責め立てて憤っておられたがそれこそ和するの反対の行動と思える。

何でも、特に人間関係では適当がいいのである。
よくよく考えてみればどうでも良いことを発作的・衝動的に人間というものは責め立てる悪癖があって、あまたの紛争・不仲の種は尽きない。

夫婦関係、あらゆるパートナー同士の関係、至言を述べるならば「与え合えば円満、求め合えば破壊」「ゆるし合えば愛が生まれ、責め合えば恐れが生まれる」。
そんなに難しく考える必要はない。
元々赤の他人であった二人が不思議な縁で巡り遭い「番い」を形成しているワケである。
それが経済的結びつきであれ、性的結びつきであれ、結びつき、絆の元は一体何だったのか良く分析して自分なりに評価できるものであれば大切にし、どうでも良い無価値なものであればとっとと解消して別の人生を歩んだ方が良いかも知れない。

本題に入る。
中国では一人子政策の為に女性が極端に不足していて、多くの男性が結婚難に陥っているらしい。
現状は日本でもあまり変わらないようである。
男女共、特に男性の結婚難は相変わらずだ。
そういう縁のない男性を観察していると或る共通点に気づかされる。
それはセックスアピールの無さだ。
オシャレに無関心、会話が苦手、全体的にダサい雰囲気、つまり自分の好む好きな服を着て女性の目を意識していない。
タバコを喫う、あと女性の好まない肉体的特徴。
これらは或る強力な特質でカバーできる。
それはお金を稼ぐ力だ。その多寡のことではない。
そしてそれを配るだけの気前の良さ、ついでに人を笑わせる、楽しませる力のある明るい性格というものだ。
最後述した男性の特質は前記した「縁のない男性の特徴を凌駕するだけのチカラを秘めている」ように見える。
こういうことをいつも念頭において日夜勉強し、学び、仕事をすることだ。
ついでに言えば仕事をしていない男性も相当にセックスアピールが落ちる。
脳や肉体の活動性の低下が原因かもしれない。
いくつになっても健康で仕事を引退などせず、あくせくでなく優雅に働き、せっせと女性に貢ぐだけの甲斐性と心構えさえ持っていれば何とかなるものだと思える。

話がテーマとズレて来たが、これらの女性へのサービス精神というものは一生を通じて人生を楽しませるものであるから決して損をしたとか思わないで自分を女性用の消耗品、耐久消費財かなんかと同視しておくとあまり根拠の無い本能的で見苦しい損得勘定で悩まされずスカッと爽やかに女性の為の散財ができるかも知れない。

こうして書いていると或る作品を思い出す。
フランソワ・トリュフォーのフランス映画「暗くなるまでこの恋を」だ。
或る裕福な若い会社経営者が「写真見合い」で嫁取りをしようとする。
本当の相手は悪人カップルに殺されてとんでもない悪女と入れ替わって結婚生活を送る。
本来お金が目的であるから財産を手に入れたらその悪女は逃げ出した。
しかしその気の毒な男(経営者)はその女を追う。
会社を売ったお金、全財産を持って・・・。
そうして無一文になる。
結果その悪女に毒殺されようとし、それに気づくが敢えて毒を食べ殺されようとする・・・。
つかこうへい監督の「蒲田行進曲」という映画でもこれらの、感動的な男女の愛を学ぶことができる。

愛のため、女性のため、自死さえも厭わない。
こういう物語の良さ・・・というのは昔若い時によく分からなかったけれど、年を経るにつれて少しずつ理解できるようになった。

婚活に余念のない友人(60代)がいるが、彼にはこのような美学が理解できない。
結果、相手に断られてばかりいる。
サービスを受けよう、貰おうとばかりして与えようとしない。
与えるのをひどく嫌うのだ。
・・・結果、なにも実らない。
男の人生にとって最も価値のあると思える「女性の愛」を勝ち得ることのない本当の意味の寂しい人生。
それならばまだ愛のない不毛の結婚の方がまだマシだ。
妻、配偶者、奥さん、パートナーという人は大切にしなければ、甲斐性のない男性にとってでなくても砂漠のような全く潤いというもののない人生が待っている。

ありがとうございました
M田朋玖



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