コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 秋日和2017. 8.23

夏の終わりはやはり心寂しい。
初夏から真夏というとせいぜい6月から7月下旬までだ。
真夏の熱狂も秋が近づくと少しずつ冷めてくる。
激しい本物の恋の始まった人には例外であるかも知れない。
恋の熱情はますます燃え上がり、秋の深まりと共に病に侵されたような狂乱もさらに深度を増すようだ。
秋の寂しさなど無縁であるかも知れない。

蜩の声が絶え間なく頭の中で鳴り響く耳鳴りのように林や木々の方角から秋の到来を告げるようにしんしんと一斉に襲ってくる。
それを日没の後の秋の夕暮れ時に聴き入っているとひどく物悲しい気持ちにさせられる。
あまり心地の良くない郷愁だ。
「寂しさ」という感情は「人を求めている」という心の信号だ。
英語だともっと分かりやすい。
I miss you・・・あなたを失って(寂しい)・・・というワケである。
激しい恋の最中にいる人々がこの寂しさからFreeでいられるのは当然と言える。
モチロン夏の恋が別離という苦い結末に至る時、それはまた一種の激しい苦悩と孤独と寂寥とそれらの入り混じった怒りにも似た激しい感情にさいなまれるかも知れない。
その為に醜い人間関係の騒乱に巻き込まれ、中には取り返しのつかない事件に発展することが多いのが秋という季節である。

子供の不登校の発生する時期でもある。
夏休みの自由過ぎる遊惰な日常が規律と規則的な生活に適合するのに時間と或る種の心理的苦痛を要するのだ。
その予防策として登校日や夏休みの宿題というものが設けてあるように思える。


そのような狂騒、狂乱、遊惰な枠外にいる多くの大人たちにとっても夏の終わりは少しく裏寂しくはあっても心の静寂を取り戻すには良い時期かも知れない。
子供の夏休みの終わりは多くの母親たちの家事労働を軽減し、心の負担を小さくすると聞いている。

ル・マン24時間も終わりツール・ド・フランスも終え、高校野球も、年によってはオリンピックも終わってしまう夏の終わり。
プロ野球もメジャーリーグもポストシーズンに向けて大方の大勢が決まってしまう時期でもある。
夏の名残も時間の経過という残酷な現実をいささかも助けてはくれない。
年齢を得て感じる夏と秋の移行期の心象というものは一種の倦怠である。
悲哀である。
あの5月、6月の初夏のときめきが懐かしい。

年齢としてもう夏ではないことを時々感じる。
人生を季節にたとえるなら秋から冬へさしかかる頃だ。
そのせいか秋は好きではない。
やっぱり初夏が一番好きだ。

作家の五木寛之の「林住期」という本がある。
50才までは世の為人の為に働いて、その後は余を捨て林に入り余生を楽しむ・・・ということらしいが、これから75才くらいまでが人生の黄金期であるそうな。
中国の古典ではその後に来るのが「玄冬期」ではなく、これは幼少期と捉えているが五木氏に言わせるとそれは「林住期」の後に来ると考えておられるようだ。
人生を考えるのに結構参考になるので一読されたらと思います。

いずれにしても今年は全体的な心身の不調もあり、楽しみにしていたお盆のバイクツーリングも断念して3日間どこにも出かけず完全休養したせいか益々体調がスッキリしない。
寝ても寝ても疲れが取れずアタマもスッキリしない。
ただ仕事をしている時だけ少し元気だ。
いつものように軽い緊張感と「人の役に立っている」という実感がとても有難い。
その為か仕事の中の殆んどの作業に苦痛を感じない。
かえすがえすも有難いことである。

人間は休養するから元気になるとは限らないようである。
少しの心身への負荷は人間を元気にするそうだ。
命という言葉も「人を1回叩く」という構成になっていると或るセミナーで聴いたことがある。
適当な刺激が健康に生きていくのに大切であることは他言を待たない。

楽ばかりしているとロクなことはない。
節制のできない人が引退すると急に老け込み、時には死に至る・・・という話はよく聞く。
お気に入りの大型バイクも発作的に売ってしまったし、夏休みのせいか観たい大人向けの映画もない。
新刊の単行本も文庫本も今ひとつだ。

遠藤周作原作の「沈黙」が巨匠マーティン・スコセッシのメガホンで制作され、今夏ビデオ化され店頭に並んでいる。
あまり興味のある分野ではなかったがとりあえずチェックしておこうと借りて観てみた。
これは意外に「当たり」であった。
歴史や宗教の勉強になる。
物語は観てのお楽しみだが結構深く考えさせてくれる映画であった。
アルコールを飲まず昼間に正気で観たせいか久々に「面白い」と感じた。
映画はただドンパチやるだけのアクション映画、ドタバタするだけの喜劇、何のメッセージ性のないロマンチックコメディなど心に残らない映画など観ても時間の無駄と感じる。
この年で誰か彼女と2人で観に行って思い出作りでもあるまい。

何かしら自分の成長を促し、哲学的な深考の材料になる映画、日常生活のファッションやライフスタイルの参考になる類の映画が好もしい。
そういう意味で「沈黙」は面白かったが・・・、こういう映画は日本では絶対にヒットしないだろうなあ・・・と思える。
そもそも日本人は宗教的な匂いのする作品を本能的に嫌うようだ。
これは織田信長の比叡山焼き討ちを始めとする仏教者の軍事集団化を阻止するための激しい弾圧、それを引き継ぐように豊臣秀吉のキリスト教迫害など宗教関係者の権力保持を極端に抑え込んだ。
これは或る意味、現代でも生きており創価学会を後ろ楯にもつ公明党への潜在的な警戒心は、解かれておらず、宗教界では結構な勢力を持っている「幸福の科学」の政治的な躍進の進展の無さ・・・などに現れているように思える。

世界的に見るとこの宗教問題というもので頭を痛めている指導者も多い。
それは特に賢明な指導者に強く表出されており、程度の低い指導者についてはその宗教に完全に埋没しており、それが良いとか悪いとか、楽しいとか楽しくないとかの判断さえつかない程、冷静な思考力を阻害しているように思える。
ましてやその宗教が人々の現世における幸福な生活に資するかどうかなど少しも考えが及んでいないように見える。
少なくとも日本国、日本人においては宗教問題やその他の組織の教義・教条に悩める人々は極めて少数派であることは大いなる救いであるように思える。

秋になるとこんなくだらないことを考えて退屈を紛らわしている。

ありがとうございました
M田朋玖



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