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■ 夜の店・・・雑感 | 2017. 8.16 |
かつてバー、クラブ、スナック、キャバクラ・・・など形態、様式はさまざまにあっても目的はほぼたったひとつ、大人の男たちを癒やすためであった。 それははるか昔日の感覚で今はかなり様変わりしているようだ。 中にはホストクラブとかいう女性を楽しませるためのお店もあるし、最近はバーやスナックなど女性のお客さんも多くなって一人でお酒を飲んだり、カラオケを楽しんだりする猛女もいるが、モチロン馴染みの店であれば男も女もない・・・。 大人たちの気軽な社交の場として前記した施設の存在はとても有難いものである。 単身赴任者だけでなく色々な事情で独居をかこつ男女に限らず夜の店は心癒やす都会や田舎のオアシスであるに違いない。 学生時代にはお金を持っていないからこれらの店に出入りすることがひとつの憧れであったけれど、いつの頃か少しずつ足が遠のき、目的も寂しさを紛らわすとか癒やしを求めるというよりも、ただアルコールを飲むというよりも、カラオケで仕事のストレスを解消することに変化していったような気がする。 アルコールと言っても1日に350cc〜500ccのビールを飲むか飲まないかの筆者にとって夜の店はその存在価値をどんどん下げてきている。 自分の部屋でテレビを観ながら飲む缶ビールの方がバーやスナックのカウンターで飲む生ビールよりもおいしかったりする・・・ので益々足は遠のき、滞在時間も短くなる一方である。 元々旅行は嫌いであるし、行動半径も狭くなる一方だ。馴染みの店もバー、スナックの二軒に限られ(なんと二者択一だ、トホホ・・・)、これが年を取るということなのかと少し情けなくなる。 年令が高くなっても好奇心が旺盛であらゆることに興味関心を持ち、旅行好きでひどく活動的な人物を時々見かけるが筆者の場合それらの人々と違う類の人間であるに違いない。 殆んどの好奇心は本屋や映画館で充分であるし、行動範囲もバイクやクルマの1日の往復距離に限られる(泊まることが嫌)のでその距離を長くても100kmにとどめられている。 或る意味とても情けない状況に立ち至っているという自覚もあるが、若い時と違って物凄く出不精になってしまったというのは事実なようである。 ほんの歩いて数分の場所にあるツケのきく夜の店に出かけて知り合いのお客たちと顔を合わせるのさえ厭っている自分の心を思う時、これは軽い引きこもりなのではないかと思える。 そういう意味で仕事というのは物凄く有難い。 それが個人である自分と社会の間をつなぐ、唯一の通路ではないかと思えるからだ。 各種の団体の所属ですら少ないのに、それらの催すパーティー、会合、会食、それ以外の小さなクラブ、宴会ですら殆んど断っているので、プライベートにおける社交の場としての夜の店の存在も或る意味、とても有難い。 何故ならそれはほとんど毎日開いているし、こちらの個人的な都合や気分で時間的にかなり自由に出入りできるからである。 かくして大人の自由を満喫すべく思い切り社交を削っている我が身にとって、少々自己満足的であっても馴染みの「夜の店」は自分が「取り残された感」を、取り除いてくれる有難さという点で、仕事には遠く及ばないものの、ストレス解消の場としての機能、その癒やしや孤独を紛らわす機能を省いても、その存在価値には揺るぎがない何かがあるように思える。 ありがとうございました M田朋玖 |