コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ イケメン2017. 8. 8

先日テレビの番組で“科学的に証明された”イケメンランキングが発表されて、それは
1位 ジョージ・クルーニー
2位 ブラッドリー・クーパー
3位 ブラッド・ピット
4位 ハリー・スタイルズ
5位 デビッド・ベッカム
だそうである。
その根拠というのがギリシャ彫刻の男性の顔を基準にその目・鼻・口の配置、それぞれのカタチ、全体のバランスを計測して評価されたらしい。

筆者の個人的な感覚では上記のイケメンランカーの男性についてそれぞれに醜いということはないが、それほど美しいとも思わない。
ただデビッド・ベッカムはカッコイイと思う。
髪型と仕草、全体的な雰囲気がスポーツマンらしくスカッとしていて好もしい。

ハリー・スタイルズとかは全く論外である。
どこがどうイケメンなのか分からない。
筆者としてはイケメンを飛び越えて美しい男性の標準としてアラン・ドロンを置いていて、ナカナカこのレベルの人間はいないので世の中のイケメンのレベルはこの程度なのだと妙に納得はさせられる。

個人的にはダン・スティーブンスというイギリスの男優さんがイケメンと思える。
ちなみに女優ではアメリカ人のエミリー・ブラントとジェニファー・ローレンスが今のところ旬である。

人間の美的感覚は凄くマチマチと思える。
それで世の中の婚姻関係が成立しているワケで、これが“好み”として一定の人、固定された美意識があって、それにそぐわない人が殆んどいないという状況になったとしたら実のところ大問題なのである。

そういう意味で人間の好き好みというのは誠にありがたいものである。
それでもイケメンとか美人と言われている人々は一般的に得をしているそうで、美人の場合にはアメリカの統計ではそうでない女性よりも平均的に犯罪者における量刑がかなり軽くなるそうである。

一方、経済評論家の森永卓郎によれば「イケメン税」というアイデアが少子化、非婚化に対する妙案だそうである。
どういう理屈かというとイケメンは女性を独占してしまうので税金をかけてイケメンでない人と均等化して男性を余らせないようにする全くという荒唐無稽なものである。

そもそもイケメンが女性を独占しているという実態があるのかどうか疑わしいし、特にイケメンでなくても多くの女性を独占している例も少なくない。
イケメン=モテるとは限らないということは美人=モテるの真実味よりも証拠も論拠も希薄であると思える。

イケメンの反対はシケメン(シケてる面相)という説とブサメン(不細工な面相)というのがある。
フツメン(普通の顔)、ムシケラ(表現不可、人間離れしたという意味か)などというケシカラン言葉もあったりして言語道断であるが、実際にはやはりイケメンというのは少数派であるし、テレビや映画に出てくる芸能人、俳優さんですら確かに美しい容姿の男性がおられるが、カッコイイとか魅力的だと思える人はそれほど多くはない。

個人的な感性では所謂ジャニーズ系のタレントさんには少なくとも男性としての魅力はほとんど感じない。
再三、述べているようにやっぱりカッコイイ、イケメンはスポーツ選手の中に多く見かけるが、これまたそれと明言できる人はやはり少数派である。

子供の時から容姿がかわいらしくて、成長するとともにさらに美しくなり、年齢を重ねるごとにその容姿に高い教養と知性と精神の高尚さと或る種の逞しさ、ふてぶてしさ、強靭さ、しなやかさを備えた優れた容姿を老いても保っている人がいるが、これまたさらに極々稀少である。
こういう風に書いていると或る人物を思い出す。
モチロン会ったことはないが白洲次郎という人物だ。
容姿が良いという点でも晩年までそれを保持し、全ての男性の魅力を備えておられるように見えるし、異様に女性にモテたそうであるので典型的なイケメンというのはこのような人を指すのであるし、或る種の羨望は感じる。

80才までポルシェ911を乗りまわしていたそうで、それが良く似合うパーソナリティーの持ち主ではあるが、元々スポーツカーというのは或る程度年を取ってから乗るのがカッコイイし絵になっているものなのだ。
先述したアラン・ドロンも70才を過ぎても全くイケメンのままであったし、老醜の微かな兆しは顔や首の皺などではなくタバコの喫い過ぎで生じた歯のヤニと歯肉の萎縮くらいであった。

普通にしていて男女共に老いがイケメンをブサメンにしていく傾向があるが、これは単なる若々しさ、若作りでカバーできる性質のものではないような気がする。

今は美容整形やさまざまのアンチエイジングの技術・知識で若さを演出できても美人・美男子のまま存在しつづけるには全く別の努力がいるような気がする。
それはやはり、とても月並みなアイデアで恐縮なのであるが内面を磨くことではないかと思える。
その方向性は、多くの悟道の人、高尚な人を目指すのではなく或る程度どうしもようもない俗物でも構わないけれども人間とか全ての物や事柄に対する人間性、美に対する一種の審美眼というかセンスなのではないかと思える。

意外なことにこれらの問題に無関心・無意識な人々が結構多くおられることに最近気づかされた。
そうしてそれらにたとえ興味関心があっても方向性も間違えて何だか傍から見ているといささか滑稽でトンチンカンな人物もまたかなりおられるようにも見受けられる。

美的センスというものは天性のモノもあると思うが個人の努力で或る程度磨くことはできるし、結果も出せると思う。

そういう意味で中身と実力(?)のともなった本当のイケメンというのは全く稀少であって、薄っぺらい普通のイケメンとは大きな画線が在ると・・・個人的には考えている。
こういう理由で自分の年齢(60代半ば)も考慮すると、たとえ科学的に形状だけを持ってしてこの人がイケメンですヨと言われてもただちに首肯するワケにはいかないのだ。

それに自信があるワケではないが自分の審美眼が簡単にはOKを出さないのである。
自分のことは棚に上げて勝手なことを書きつのってしまったが何かの参考になればと思い一筆してみた。

白洲次郎のようにその容姿だけでなくその生き方、人生観、ライフスタイルの中に美的なものが存しないと真のイケメンとは思えない。
・・・であるの本当のイケメンである為には年齢という時間がどうしても必要と思えるし、それを維持させるには相応の努力がいるものであると考えている。

ありがとうございました
M田朋玖



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