コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 断念2017. 7.24

今年の春から楽しみにしていたお盆休みのバイクツーリング計画への参加を断念した。
宮崎港からフェリーで神戸に渡り、広島や山陰を巡る船中泊を含め3泊4日の旅だ。
それはとても魅力的なプランで、毎日の仕事の励みにもなっていたくらい心理的に「快」のイメージであったのに・・・。

人間の恐れはその殆んどが想像力に起因するらしい。
真夏の灼熱の太陽、都会(神戸)の車線の多い道路、炎天下の海岸道、お盆の渋滞、混雑した高速道・・・と数え上げたらキリがないくらい次々と脳裏に浮かぶ、どちらかというとネガティブで苦し気なイメージ、想像・・・それらが最近になり再発した不眠症に被いかぶさるようにウキウキしたツーリングそのものの喜びに日に日に少しずつ打ち克って行く。
そうして「仲間に迷惑をかけてしまうのではないか」という自己正当化的言い訳を心の中に勝手に造り上げ、心優しいリーダーの男にメールで割とアッサリと「不参加」を告げたのだ。
段取り、設営してくれた人からすると実にケシカラン話だ。

モチロン未練はある。
その幾分修行とも苦行とも言えるツーリング計画ながら心おきなくバイク乗りを楽しめる「三昧」な4日間が魅惑的でない筈がない。
そもそも旅というものはそのような「行」のような側面があるのだ。
そのことが分かった上での断念には自らの老いと退化、心の怠惰を感じさせて少しく忸怩たる思いもあるのだ。
それでも尚この決断にあまり後悔がないのにはもっと若い時の同じような経験もある・・・と自己分析している。

30代前半の頃、トライアスロンという過酷なスポーツにハマったことがある。
バスケットボール現役で言わば2足の草鞋的なハードなスポーツ生活に興じていた時代に初めてリタイアというものを実体験した。
それは意外にも苦い挫折感、敗北感などではなく一種の強烈な解放感であり爽快感であった。

トライアスロン天草国際大会。
当時は野球の長嶋茂雄さんが会長であった。
参加3年目の6月。
その年は空梅雨で晴天続き。
当日も午後には真夏のような暑さ。
太陽は天空の頂上にあって容赦のない剥き出しの熱光線を地上に照りつけて道路や人を焼き尽くすようであった。
スイム(水泳1.5km)、バイク(自転車60km)、ラン(マラソン10km)。
この順番に行われるトライアスロンという競技の「ラン」は最も過酷なステージである。
疲れ果てて重くなった肉体を熱せられたアスファルトに打ち付けて1万メートルも運んでいくのは6月らしくない炎暑の下ではいかにも過酷だ。
歩いている選手も大勢いる。
記録ばかりでなく完走という栄冠もリタイアという名の甘く優しい遊女に競べれば、まるで田んぼの畦道に立つ枯れ切った案山子だ。

いったん心を決めると潔くサッパリと救護テントに歩み寄り医療班のワゴン車に乗り込んでゴールで待つ仲間に合流した。
その時の雲ひとつない青々とした空、木々を渡る爽やかな風、人々の笑顔、喝采(自分に送られているワケではない)・・・今でもありありと心地良く思い浮かべることができる・・・重荷を降ろした砂漠の旅人・・・辿り着いたオアシスでくつろぐ旅人。心ゆくまで安楽という水辺の草むらを味わう旅人。

休息というものがこれほど心地良いものなのか。

これは高校時代にも味わったことがある。
私立の進学校によくある遠距離走歩というヤツである。
「50km競歩」と呼ばれる春の年中行事。
高校3年、高校最後の年に数人の仲間達とともに残り10kmほどでリタイヤして学校の差し向けたバスに乗った。
或る意味脱落、ドロップアウト・・・情けない状況である筈なのにこの爽やかさはいったい何なのだ。
物事はやり遂げるという喜びはモチロンあるとは思う。
それを時に人々は成功と呼ぶ。
しかしその行為、行動の結果に深い意味の有る無しにかかわらず「断念」「やめる」という決断も悪魔のように誘惑的ではある。

それがどんなに恐れに基づいた恥ずかしい動機、情けない動機であっても・・・。
それらの累々と築かれた未達、断念、あきらめ、不成功、不首尾、失敗を裾野に大成功という頂点頂上が存しているのだ・・・多分。

モチロン用心はいる。
場合、場面、事柄によってはこれが癖になっては困るのである。
それは言わずもがな「仕事」「勉学」「人生」というものである。

ありがとうございました
M田朋玖



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